「戦後思想の一断面」 熊野純彦
本書は、第一部が廣松渉さんの生涯の軌跡と「世界の共同主観的存在構造」までの著作を紹介しており、第二部では廣松哲学を亡くなる直前の著作や論文を中心に解読している。第一部は書き下ろしと初出ノートに書いてあった。
1960年6月15日、全学連主流派の隊列の最前線に廣松渉さんがおり、右翼の乱入がつたえられ、亡くなられた樺美智子さんに「おんなはうしろに下がれ」というと彼女は鋭い視線をむけ「どうしてですか」と食ってかかったそうだ。このことについて、廣松さんは「一生の悔いだなあ。首根っこ摑まえてでも、退がらせておけばよかった」と語ったそうだ。
廣松渉さんの著作は殆ど読んでいたが、「世界の共同主観的存在構造」や「存在と意味」などは、とにかく難しいという印象しか残っていなかった。文章の難しさもさることながら、使っている漢字がさらに難しかった。本書の解読も難しかった。結局、本書でも第一部の著者と廣松さんとの関係や政治的な活動のエピソードが面白く感じられた。著者によれば、廣松さんは「忙しい」という言葉を口にしなかったという。決して長くはない生涯であれだけの論文を書き、活動にコミットして、学生の面倒もみるという「義理がたさ」はだれにもまねできないもだった。
目のまえの他者にたいして多忙を理由にして応答を拒絶することは、その他者を蔑ろにすることである。現前する他者に「忙しい」と口にすることは、じぶん設定した秩序のうちで、他者を一方的に位置づけることにほかならない。それはひどく暴力的で、非倫理的なふるまいではないだろうか。
廣松の周辺には、倫理学を専門とする人間も多くつどっていた。廣松渉は、倫理学という学の領域をじぶんとは縁遠いものと感じていたとおもわれる。廣松本人は、けれども、過剰なまでに倫理的な人間だった。その背後には、他者との関係にかかわる廣松の選択が、<倫理>の意味をめぐるその思考と反省が、つまり倫理学があったにちがいない。廣松渉そのひとは、だれにたいしてもことさらにそれと告げることなく、一身の倫理を生きていたようにおもわれる。
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