梅里雪山
「梅里雪山 17人の友を探して」を再放送で見た。 梅里雪山第2次学術登山隊の遭難と捜索活動のドキュメンタリー。この遭難は、1991年に起こっている。その頃、管理人はまだ山に登っていたので覚えている。合同登山隊は、1996年に3度目の挑戦を行ったが登頂に成功していない。このとき番組の主人公の小林尚礼さんはアッタク隊の一員で、天候が急転したため隊長の判断で登頂を断念している。小林さんは、「隊長の首を変えててでも登りたい、ここでケツをまくったら一生恨みますよ」と思ったそうだ。とにかく登頂することだけが目標となっていた。梅里雪山に6座ある6000m峰はすべて未踏のままだ。
1998年7月に第2次学術登山隊の遺体と遺品が見つかり、小林さんは登山隊17人全員の遺体を見つけようと考えを変えたそうだ。番組では、小林さんと一緒に遺族の方々がBCの跡地まで同行している。小林さんは今回の氷河の探索で頭蓋骨片を見つける。まだ遺体が見つかっていない医師として参加していた清水久信隊員のものかどうかをDNA鑑定して判断するそうだ。
京都大学山岳会は山麓の明永村に記念碑を建立している。だが、記念碑に刻まれている日本人隊の名前は削りとらていた。地元の人々が行ったことだった。聖なる山には登ってはいけないと番組の中で地元のひとは話していた。地元のひとにとっては、神聖な山を穢した者と感じられたようだ。旧帝大の山岳部は、歴史があり、未踏峰初登頂主義みたいなものがあったようだ。とくに京大山岳部はその感が強かったように思う。
前に書いたような気がするが、管理人がGWに燕岳から蝶ヶ岳へ縦走しようとして、穂高駅でタクシーの相乗りをした。穂高駅から燕岳登山口の中房温泉までは、昔はバスが運行されていたが無くなってしまいタクシーで行く。その相乗りした人がカナビラをベルトに付けていて、「これ彼女の形見なんですよ」と笑ったので冗談かと思った。話を聞いたら、大学の山岳部の部員が遭難して、そのひとが救助隊に加わって捜索し、彼女の遺体を見つけた。そのときザックに付けていたカナビラを持ち帰ってきたそうだ。そのひとは、谷川岳の一ノ倉沢岩壁で滑落して、大腿骨を複雑骨折、入院に6ヶ月、リハビリに2年位かかったそうだ。それでも山を登ることがやめられなかったと話していた。今は、奥さんが許してくれないので危ないところは行かないけどねと笑っていた。
小林尚礼さんのHPはここ。
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