禅教・顕密・聖道浄土
「鎌倉仏教展開論」 末木文美士
末木文美士さんの「鎌倉仏教形成論」に続く、鎌倉期の仏教思想展開に力点を置いた論文集が本書である。前著で言及できなかった鎌倉後期の問題を説き及ぶことで、鎌倉期の仏教思想の流れを展望できるようになったと著者は述べている。本書は3部に分かれており、1部では全体的な問題、2部で13世紀中期の問題、3部で13世紀後半から南北朝期における問題をそれぞれ論じている。1部は、常識となっている鎌倉仏教観が近代以後の仮構であることを示し、2部は本覚思想の問題並びに法然と栄西について検討し、3部は日蓮の真偽未決遺文、夢窓疎石、「愚管抄」、「神皇正統記」並びに慈遍を取上げている。
この本に収められている論文は、仏教・仏教思想の専門家向けに書かれているもので、一般向けの解説書ではないため、僕のような専門外の人間にとって、細かい議論についてはよくわからない(例えば日蓮の真偽未決遺文についての論考)。それでも、日蓮や夢窓疎石の当時の権力との関わりの対照的なところや栄西の禅宗への取り組みなどが興味をひいた。「興禅護国論」の偽撰説に関するところで、栄西が50歳前後から禅宗を学んだため、禅の習得が完全でなく、その理解におかしなところが有っても責められないとあり、先駆者の苦労が窺われる。
結章で、鎌倉新仏教中心史観が批判されるようになり、新資料が発見されると同時に、神仏習合・密教・諸宗兼学などが再評価されており、中世宗教の研究動向は大きく動き、中世の豊かな精神世界が明らかになりつつあると著者は述べている。
鎌倉新仏教中心史観は、単に客観的な歴史研究の理論としてできたものではなく、明治以後の近代化の中で、どのような日本の仏教を再構築するかという課題に対応する、きわめて実践的な意義を有するものであったということである。そこで、新仏教の合理的な面がクローズアップされるものとなるそれ故、その崩壊はそのまま近代化の行き詰まりと、次の段階への模索と対応するものとなる。もちろん、合理的な近代主義が行き詰まったからといって、そのアンチテーゼとして前近代の非合理主義を持ち出すだけでは、単に懐古的な反動にしかならないであろう。中世的な発想の特徴をあきらかにしていくことは、単にそれだけを孤立的に取り出して賛美することではなく、それを思想史の流れの中にもう一度戻して、思想史全体の捉え直しに向かうことがなければならない。
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