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肉弾で歌ふ

「中原中也 悲しみからはじまる」 佐々木幹郎

札幌のヨドバシカメラへいった帰り、何気なく隣の紀伊国屋書店へ入ったらこの本と「中原中也帝都慕情」が目について買ってしまった。「理想の教室」シリーズのひとつで、高校生が読んでわかりやすく、3回の授業で入門から深い世界へと帯に書いてあった。

佐々木幹郎さんは、「中原中也全集」の編集を行っており、この本にも生原稿の写真が掲載されている。佐々木さんは推敲の課程や詩の成立時期の考察を、考古学者の遺跡発掘に準えている。原稿用紙の種類、筆記用具の使い方(万年筆、毛筆、鉛筆など)などで詩の成立時期を推測するのは推理小説の謎解きのようだ。

中原中也は上田敏や鈴木信太郎の訳詩を書き写すことで詩を学んでいった。それについて、佐々木さんは手を使って書き写すことにより、詩のリズムや句読点の置き方などが身体に入ってくることがあったと推測している。

詩の世界は言葉というものの面白さをどのように引き出すかが、いつも問われます。詩は特に言葉のイメージとリズムを大事にします。そのことに近づくために、本を読むだけではなく、手で書き写すことが大事だったという、かつての時代の素朴な原則をまず確認しておきましょう。このことはいまでも重要です。

「悲しみ」はひとがひとりであるときに襲ってくる。それがふたりでいるとき、あるいは大勢のひとといるときに「悲しみ」を感じるとき、そのなかでひとりになっている。日本人の「悲しみ」の特徴は織り目のように水平に広がっていると佐々木さんは述べている。一枚の布の尖端がほころびはじめ、その織り目の細い一本の繊維が風に揺らぐような場所から言葉が生み出されている。中原中也の「汚れつちまつた悲しみに・・・」では、無垢な悲しみなどなく、もっと普遍的なものへ向かっていることがわかる。中原中也の詩に「無垢」や「純粋」を見つけようとするのは間違いだと佐々木さんは述べている。

中原中也の子の文也は、小児結核のため2歳で亡くなる。中原の日記帖には、何重にも線を引いた落書きがある(この日記の写真もこの本にある)。文也の落書きだそうだ。自分の日記に落書きをされても、怒らずに寧ろ目を細めて喜んでいたに違いない中原中也の顔が思い浮かぶと佐々木さんは書いている。その後、中原中也の精神は極度に不安定になる。

中原中也にとっての子どもとは、中原中也自身のことでもありました。この世が彼を置いて、ただいっさんに走りすぎるものならば、どんなに幸福だったことでしょう。
そしてその光景を、文也の残した何のためらいも不安もない落書きの線のように、傍若無人に描くことができれば、どんなに素敵だったことか。
それこそが中原が求めて、ついにたどりつけなかった「言葉なき歌」であり、また「在りし日の歌」でもあったようにわたしは思います。

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