« クラシコ他 | トップページ | 日本代表 »

アニマの助かりのために

「言葉果つるところ」 石牟礼道子・鶴見和子

水俣のヘドロの海を森となし石仏を置く次の代の夢

本書は水俣病患者を描いた「苦界浄土」等の著者の石牟礼道子さんと鶴見和子さんの対談の記録。「アニミズム」を主題として、歌や俳句、水俣や天草の風土、石牟礼さんの小説「アニマの鳥」について話をしている。弟の対談の名手鶴見俊輔さんに負けず鶴見和子さんの対話は面白い。対談者は和子さんのことを少女のようということが多い。この本でも、大学の授業で「水俣」を「みずまた」と読んで学生から笑われたとあっけらかんと話すところにその片鱗が見える。

「アニマの鳥」は、石牟礼さんが水俣病自主交渉の座りこみのとき連想された「天草の乱」での隠れ切支丹の闘いをアニマへの祈りをこめた長編小説である。チッソ本社での水俣病自主交渉で、チッソの幹部に私たちも水銀を飲みますから貴方たちも水銀を飲んで一緒に死にましょうといったことや、水俣市の発展のために水俣市民5万人の命と126人の水俣病患者の命とどちらが大事かと言われたということを読むと水俣病問題の凄まじさが窺われる。地球的規模の環境問題については、いま水俣なんて小さいことは考えないで地球の問題を考えましょうという風潮があり、それが恐ろしいと和子さんは話している。そして石牟礼さんは、あれはじつに口当たりのよい言葉ですねと語っている。

人間と自然のすべての生き物、生きてるものも生きてないものも含めて、自然は生きてる。おおいなる生命体だと思う。石だって生命体の一部ですから。だからこのおおいなる生命体をその一部である人間が壊すということが始まりなのね。人間がそれを始めることによって、人間とその他の生き物、その他の事物といっしょに、ともに支えあって生きていた、その姿を壊した。それが始まりだから、どうやってそれをもう一度、人間とその他のあらゆるものとがいっしょに、ともに生きていける姿にできるか。できるかできないかわからない。

アニマの助かりのためには、切支丹がキリスト教の教理を仏典の言葉に翻訳して教理を教えたなかで、魂の救済のためにこの教えにおすがりしなさい、生きている今生の苦しみは後世の、後生へ行くための捧げ物であるからということである。「アニミズム」をどうとらえるかということについて石牟礼さんは次ぎように述べている。

山も川も海も精霊たちの宿る聖なるところであって、得体のしれぬ化学物質でこれ以上毒まみれにしてはならない。ここを無神経に汚しては、自ら生命の母層を殺すことになる。あらゆる文明論の前に、それをいうべきではないだろうか。エコライフをと軽く言ってもよかろうが、山川草木、鳥獣魚類という生命現象と伝統的な文化というものについて、わたしたちはもっと謹しみぶかく、恭くありたい。まだ人にも知られぬうちに絶滅しつつある種が、限りなくあるときく。痛切な念いをこめてお話しあった。それがわたしのアニミズムである。

_mg_8330

|

」カテゴリの記事