「永遠平和のために」 カント
装丁に惹かれて池内紀さん訳の「永遠平和のために」が気になっていたが、なんとなく買いそびれていた。今日、桜の写真を撮った後、銀座の本屋で購入して読んだ。補説と付録は抄訳。全訳を読みたいひとは岩波文庫をどうぞ。以前、僕も岩波文庫で「永遠平和のために」を読んだ。池内訳「永遠平和のために」はとても読みやすい。池内さんは、今回初めてカントを訳したそうだ。内容は本当に現代的だ。とても210年前に書かれたとは思えないとあらためて思った。「永遠平和のために」を読んだことがないひとに、小田実さんの遺稿ですといって読ましたら信じるのではないかと思う。これは冗談ですが。
「永遠平和のために」は小冊子で、すぐ読める。一番読んで欲しい国の指導者は、今も昔も本をあまり読まない。そのため、厚い本では読まれないのを危惧して小冊子にしたそうな。71歳のカントが戦争続きの世の中に業を煮やして平和についてペンをとった。「永遠平和のために」は3大批判書を書いたあとの著作のため、批判哲学の下地があり、カントにしか書けない平和論になっている。カントというひとは本当の意味でリアリストだったと思う。池内訳「永遠平和のために」から引用してみる。
戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない。
いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。
内部抗争がまだ決着をみていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害
している。その国の国民は、病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存している
わけではないからだ。
行動派を自称する政治家は、過ちを犯して国民を絶望の淵に追いやっても、責任は
転嫁する。
隣合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではな
い。戦争状態、つまり敵意がむき出してというのではないが、いつも敵意で脅かされて
いるのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。
殲滅戦にあっては、交戦国がともに殲滅され、それとともにすべての正義も消滅する
から、永遠の平和はようやく巨大な墓地の上に実現する。だからこそ、このような戦争
は、戦争に導く手段もろともに、いっさい許されてはならない。
人間愛と、人間の権利への尊厳は、ともに人としての義務である。人間愛が条件つき
の義務であるのに対して、人間の権利への尊厳は無条件の義務である。人間愛の善
行をほどこして甘い感情にひたるに先立ち、人間の権利への尊厳を侵していないかど
うか、十分に検証しなくてはならない。
永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である。