「赤い春」 和光晴生
本書は、1978年末から1982年のイスラエルの大侵攻によるパレスチナ・コマンドのベイルート撤退までの時期を中心に、パレスチナ・コマンドとしての著者の生活が描かれている。そのコマンドとして参戦する描写は迫真にせまっている。僕のように従軍経験のないものにとってはそれがどのようなものか想像するしか術がないが。パレスチナ・コマンドとの交流もとても興味深い。とても若いコマンドが著者の上官となることもあった。コマンド同志の争いはそれこそ命がけである。
レバノン人を装って、レバノン右派地区の東ベイルートから左派地区へ脱出しようとしたパレスチナ住民に、検問所でレバノン右派民兵がトマトを示して「これはなんだ」と尋問する。レバノン人ならば「バナドーラ」と呼び、パレスチナ人は「バンドーラ」と呼ぶ。「バンドーラ」と答えたために、パレスチナ人と見なされ、何人もの人が命を落としたそうだ。
著者は、日本赤軍として起こしたフランス大使館占拠事件(ハーグ)とアメリカ大使館領事部・スウェーデン大使館占拠事件(クアラルンプール)における逮捕監禁、殺人未遂で起訴され一審で無期懲役の宣告をうけ現在最高裁に上告中である。著者は、1975年頃、日本赤軍の思想闘争を巡って、疑問と批判を持ち、1978年末、日本赤軍に「脱退届」を出し、パレスチナ・コマンドになる。脱退はすぐに受理されなかった。日本赤軍の規約には、「組織員は自らの意思でいつでも脱退することができる」とあったそうだ。これは「党組織」が「無謬の党」たれねばならなくなる例だと著者は述べている。赤軍派の自死した森恒夫はその自己批判書で次ぎのように述べている。
革命戦争がロシア型の機動戦-蜂起による権力奪取の革命闘争の攻撃性の内実を継
承しつつ、現代帝国主義世界体制との闘争に於いてプロレタリア人民を世界党=世界赤
軍-世界革命戦線に組織化してゆく持久的な革命闘争として創出されていった事実と、
その中で文字通り「革命とは大量の共産主義者の輩出である」ように不断の共産主義
的変革への目的意識的実践が「人の要素第一」の実践として確立されなければならな
い事、その端緒として党-軍の不断の共産主義化がまず要求される事である。
僕にはこのような考えはよくわからない。これが「国際テロ主義」の正当化につながるとは思えない。著者も連合赤軍と同じような自己批判-総括を経験したそうだ。「国際テロ主義」の日本赤軍は国際的にも孤立し、日本で逮捕されて獄中にある重信房子が「解散宣言」を発してその歴史を閉じた。
いくら「整風運動」や「文化革命」をやったところで、あるいは「科学的共産主義」や「思想
闘争」とかのスローガンを掲げたところで、それらは指導部や執行部の権力と統制とを
強化するための方便でしかないことが今や明らかになっている。長期化した政権や体制
が停滞、腐敗し、自壊へと至るのは当然のことである。その点では、今や日本の官僚機
構も、かつての「社会主義国」並みか、それ以上にひどい退廃と腐敗の中にあるように
見える。
肥大化した組織は官僚化し、官僚化した組織は必ず腐敗するといったのはロシア革命の英雄だったのではないか。