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「若松孝二 反権力の肖像」 四方田犬彦・平沢剛編
昔、僕の友人が大学祭で若松孝二監督の作品を上映をしようとしたところ、某女子大の女性問題研究会だったかフェミニズム研究会だったかの女子たちが駆けつけてきて、上映中止を求めた為、やむなく上映を中止したことがあった。その女子たちは若松孝二監督の作品を見たこともなく、ピンク映画という思いこみだけで中止を求めただけだったようだ。この本のなかにある、「壁の中の秘事」がベルリン映画祭に出品された際の日本側の映画関係者の反応を読んでこの事を思い出した。
この本は明治学院大学芸術学科が開催している「日本映画史シンポジウム」の「若松孝二シンポジウム」の成果を纏めたものである。僕は、若松孝二監督の作品を見たことがないので、個々の作品論についてはわからない。この本の中では、若松監督のインタビューが一番面白かった。論文のほうでは「仕掛けられたスキャンダル」と「劣情有理」が面白かった。監督自身が面白くなければ、作品も面白くならない。
若松監督は、新宿で極道をやっていて、5ヶ月ばかり塀の中で暮らして、ここらをでたら警察官と刑務官をぶっ殺してやろうと思ったが、殺したらまたここにこなくてはいけないので別の方法で考えて、「映画でおもわりをたくさんぶち殺すようなものを撮ったら面白い」ということで映像の世界に入ったそうだ。最初は、監督ではなくてプロデューサーをやり、その後TVの助監督をやっていた。揉め事がありぶらぶらしているとき、女の裸を必ずいれる映画の監督をやらないかと誘われて「甘い罠」を撮ったのが最初だったそうだ。
「赤P」の制作のエピソードはとても衝撃的だ。パレスチナゲリラの山岳基地に入り、2週間くらいたったとき、突然撮影許可がでて、その日の朝のうちに撮影を終えるよう言われ、撮影後山を降ろされた。その後、シリアに一晩泊まったあと、新聞を見たら、昨日まで一緒に暮らしていた人たち全員が公開絞首刑になってぶら下がっていた。パレスチナゲリラは、イスラエルとヨルダンの総攻撃がくるのが分かったため、監督たちを逃がし、遺言のつもりで撮影を許したようだった。
若松監督の最新作は「実録・連合赤軍」である。なぜ、連合赤軍を撮ろうと思ったかについて若松監督は、「赤P」の上映運動が始まって、かつての赤軍の連中とか、連合赤軍で粛清された遠山美枝子さんも都内の上映運動を一生懸命やってくれたので、どうしてもこの連合赤軍の総括をしておかなきゃいけないと思っていた。かつての60年代から70年代初めにかけてのあの若者たちは一体何だったのかフィルムというもので残したかったと若松監督は述べている。
ああいう若い人たちが運動をやっているからこそ、安泰なんだと思っていた。そういう
意味じゃあ、よく酔っぱらって言ったけど、だからこそ俺たちは徴兵制度に引っからな
いで新宿で酒が飲めるんだよ、って。もちろん、あの時代にも俺たちは食うのも食えな
くて必死に働いてるのに、学生の金持ちの坊ちゃんはなにやってるんだって人たちだ
っていっぱいいた。俺も映画撮ってなかったら、おそらくそう思っただろう。でも、いくら
迷惑になっても、こいつらがいるから俺たちはなんにもしないでやれているんだって思
えた。今でもそうだよ。よくみんなが連赤で運動は駄目になったって言っているけど、そ
の以降も必死に黙ってやっている連中がいっぱいいるわけだからね。ただ俺はああい
う集団的なことはやらないから、やるときは個的に自分でやるんだって思っていた。集
団でなんかやるって言ったら必ず割れるんだよ。そこで権力も生まれてきてしまう。だ
って、人間はみんな違うだろ。バーッとなんかやって、サーッと散るのが一番いい。
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