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2007年10月

虚仮不実のわが身にて

「親鸞をよむ」 山折哲雄

親鸞といえばまず思い浮かべるのは「歎異抄」である。有名な悪人正機説の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」だ。著者はこの本の中では、「歎異抄」を親鸞の二次資料として位置づけ、あくまで「教行信証」「三和讃」を親鸞思想の中心とみなし読み込んでいく。「教行信証」に展開されている主題は、父親殺しの罪人ははたして宗教的に救済可能かということだった。「教行信証」の前半に、「涅槃経」や「感無量寿経」などに紹介されている古代インドのアジャセの父殺しの問題を掲げている。阿弥陀如来によって父殺しは救済されるかどうか、その条件はあるのか、一種の危機神学の論題と著者は述べている。「大無量寿経」の規定によれば、「五逆」と「誹謗正法」の罪を犯した者には阿弥陀如来の救済は及ばない。親鸞が直面した深刻な問いであった。そしてその解答は「教行信証」の最後に現れる。父殺しが救われるためには、「善知識」と「懺悔」の二条件が決定的に重要である。この条件を満たせば五逆の根元悪が乗り越えられると親鸞は述べて「教行信証」を終えている。これが親鸞の「悪人正機」の核心であり、悪人救済思想の第一原理であると著者は述べている。それにたいして「歎異抄」の「悪人正機」論は、親鸞の悪=悪人論の本質からすれば、一部分に言及しているのに過ぎない。そのことについて著者は次のように述べている。

  「歎異抄」で説かれている論旨は、悪人正機論であれ、善悪=宿業論であれ、われわ
  れ人間にはそもそも悪(=殺人)を犯す可能性があるという議論だったといってよい。と
  ころがこれに対して「教行信証」で展開されている逆害論は、アジャセという父殺しの
  悪が主題とされている。気がついたとき、すでに殺人を実現してしまっていた人間の悪
  の問題である。可能性における悪の問題とは決定的異なる状況といわなければならな
  いのだ。そして、この父殺しという逆害を実現してしまった人間の罪が償われるために
  は、「善知識」と「懺悔」の二条件が必須であると親鸞はいったのである。悪人アジャセ
  が阿弥陀如来の慈悲によって救われるためには、それが絶対に欠かせないといって
  二つの条件をさしだしたのである。

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とうとう

<愛媛 0 - 1 札幌>
西の得点シーンが何度もTV放送されていました。いやあなんというか良かったです。とうとう次節で昇格が決まるかもしれません。京都が負けて、ヴェルディが引き分け。鳥栖は侮れない相手です。岸野監督は曲者ですから。

順位   Team    勝点    試合数    勝    分    負    得点    失点    得失差 
  1    コンサドーレ札幌  87  45  26  10  62  41  +21 
  2    東京ヴェルディ1969  84  45  25  11  85  53  +32 
  3    ベガルタ仙台  79  44  23  10  11  67  49  +18 
  4    京都サンガF.C.  78  44  22  12  10  74  55  +19 
  5    セレッソ大阪  75  44  23  15  64  50  +14 

<FC東京 0 - 7 川崎>
管理人が見に行かないとほんと爆勝するなあ。得点シーンだけ見ましたが面白いように得点していて、今までの決定力不足なんだったんだ。やっぱりACLのプレッシャーというか疲れがあったのかなあ。ACL敗退してから調子いいから。G大阪はなんか調子を落としているようなので、とうとうタイトルを取れるかもしれません。国立は2000年の時とは違って、大入りになりそうな雰囲気です。早く行って席を確保しないとなあといっても、午前中は用事があるのであまり早く行けない管理人です。

<レッドソックス>
とうとうワールドシリーズで日本人対決が実現したと思ったら、レッドソックスの4連勝で終わってしまった。岡島はさすがに疲れたのか3ラン、2ランを打たれてしまったけど、ある意味松坂よりチームに貢献したと思う。あの岡島があれだけ活躍するとは思ってもいなかった。松坂はどうも捕手との呼吸が合わないというか投げたいボールを投げていないような気がしました。球種が多いとこうなるのかなあ。岡島は、カーブとスプリットというかチェンジアップとストレートだけだから、バリテックスのリードはぴったりはまっていたような気がします。最近、大リーグ、NFL、リーガ・エスパニョーラ、Jリーグとスポーツ番組しか見ていないなあ。

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最後の作品

「晩年のスタイル」 エドワード・W・サイード

サイードの完成された最後の著書は「人文学と批評の使命」である。この本は最後までサイードが完成を目していたが、彼の死によって中断された原稿を、彼の友人が編集し出版したもので、もじどおりの遺著。サイードは白血病を発病してから、アドルノが「晩年のベートーベン」で使った「晩年のスタイル」をキーワードにして、芸術家の晩年と作品について考察している。取り上げているのは、ベートーベン、R・シュトラウス、モーツァルト、J・ジェネ、ランペドゥーサ、ヴィスコンティ、グレン・グールド、そして全編にわたってアドルノに言及している。僕が面白かったのJ・ジュネとグレン・グールドの章。僕のように音楽の素養がないものにとって、アドルノとサイードの音楽に関する記述はわからないところが多い。アドルノの文章は難しいとサイードも述べているが、僕はその著作を読んだことがない。グレン・グールドについては、音楽以外の彼の生き方が興味深い。グールドはカナダの田舎ものとサイードは書いているが、グールドが地元のトロント大学の学生にむけたスピーチから、サイードは音楽について次のように述べている。

  音楽は合理的に構築されたシステムである。それは人間が構築したがゆえに人工的
  なものである。それは、わたしたちをいたるところで取り巻いている「非実在」あるいは
  無意味に対抗するところの自己主張である。そしてもっとも重要なのは、システムを超
  えて非実在(この非実在とは、音楽の外部にある世界を記述するときのグールド特有
  の表現である)へとあえて入り込み、そして次に、音楽が代表するようなシステムに回
  帰するものとして、発案を考え、音楽はそれに依拠するということだ。

サイードがはじめてジュネに会ったのは、1970年春、コロンビア大学の集会でだった。その集会で、ジュネの話を通訳したサイードの教え子が無茶苦茶な通訳を行ってもジュネは平然としていた。そのためサイードはますますジュネに対する敬意と関心を高めたそうだ。その次に出会ったのは1972年ベイルートであった。このとき、サイードはコロンビア大学の集会での「潤色的通訳」について伝え反応をみてみた。ジュネは「たしかに、わたしは、そうしたしたことをすべて口にしなかったかもしれない」が「わたしはそうしたことを考えていたのだ」と答えた。ジュネは、異国趣味の探求者としてではなく、アラブ人のことを享受でき、アラブ人といると心がなごみ、アラブ人空間に入り込み暮らしていた。ジュネはアラブ人を愛していた。ジュネはその作品によって、アルジェリア抵抗運動やパレスチナ抵抗運動を支援した。

  彼の作品は、あの歌をやめさせろ、物語と記憶を疑え、わたしたちが心底強い愛着を
  もつようになったイメージをもたらした美的経験を無視せよと、そう命じてもくる。これほ
  どまでに非人格的で虚偽に妥協しない哲学的な厳格さが、かくも痛切な人間的感性と
  連携していることこそ、ジュネの作品に、和解なき緊張感にみちた調子を付与するも
  のである。二十世紀後半の作家のなかで、カタストロフィの大きな危機と、その危機に
  対する抒情的繊細さをともなう反応とが、かくも荘厳に、かくも恐れもなく維持されてい
  る例は、ほかにないのである。

最後に、晩年の作品についてのアドルノの文章を紹介する。やはり難しい文章だと思う。

  客観的であるのは、破壊された風景であり、主観的であるのは、光、それもその風景
  が-それだけが-生気を帯びて輝くときの光である。彼(芸術家)は両者の調和に満
  ちた統合を引き出すことはない。分離の力の源泉として、彼は両者を時間のなかで引
  き裂くのである。おそらくそれらを永遠にとどめておくために。芸術史において、晩年の
  作品はカタストロフィである。

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いよいよ

<札幌 1 - 0 徳島> 
得点者:43' 中山元気
珍しく中山小隊長が得点したと思ったら、イタカレのシュートのこぼれたのを押し込んだもの。結局、中山小隊長のシュートはこの一本だけ。前にいるDFという役割なんでしょうか。昇格したらどうするんですかねえと最近こればっかり。しぶとく勝ち点3を取って、いよいよ残り試合はあと4つ。とにかく2位以内をキープしてほしいです。

順位   Team    勝点    試合数    勝    分    負    得点    失点    得失差 
  1    コンサドーレ札幌  84  44  25  10  61  41  +20 
  2    東京ヴェルディ1969  83  44  25  11  83  51  +32 
  3    京都サンガF.C.  78  43  22  12  74  52  +22 
  4    ベガルタ仙台  76  43  22  10  11  66  49  +17 
  5    セレッソ大阪  72  43  22  15  62  50  +12 

<AFCチャンピオンズリーグ>
10月3日セパハン(イラン) 3-1 アル・ワハダ(UAE)
10月24日アルワハダ(UAE) 0-0 セパハン(イラン)
ということでセパハンが決勝進出で、いよいよ埼玉のほうの赤いチームと決戦です。管理人がどちらを応援するかは内緒だ。

<10月28日多摩川クラシコ>
いよいよ多摩川クラシコ(これはあまりいよいよではないですが)。諸般の事情により管理人は味スタに行けません。お台場近辺で速報をチェックする予定。去年のようなことにはならないように祈っています。4-1からの逆転負けなんて勘弁してほしいものです。

<11月3日ナビスコ杯決勝>
いつもと違う黒いポスターが武蔵小杉の駅に貼られていました。青だとG大阪のチームカラーと被るからでしょうか。もう悔し涙はいらない。チケットも手に入れたしいよいよです。

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オオカミの大きな口

「徴候・記憶・外傷」 中井久夫

  体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。
  50年前の失恋の記憶が昨日のことのように疼く。
  -ポール・ヴァレリー「カイエ」より-

この本は、阪神淡路大震災後に執筆したいくつかの論文が中心となっている。震災による心的外傷を手当することにより著者は外傷や記憶について考えを深めていく。記憶には幼児型記憶と成人型記憶とがある。幼児型記憶は、3歳までの主に、断片的な、静止的な視覚映像であり、前後の関係もわからないものである。三島由紀夫が自分が誕生した時の産湯の記憶があると述べているが、これは後から親とかの話から構成したかもれず確かめようもない。生まれた瞬間を記憶しているというひとは意外に多いらしい。これに対して成人の記憶は、生きている時間とともにその内容が変わっていく。細部の克明さも個々の事実の重みも変わる。ある時には、とるにたりない事件でも後になると重要な意味をもつことがある。この連続感覚は、語りとしての自己史が成立していることによるだけではない。我々はたいていの時間、その記憶を忘れている。しかし、その記憶をいつでも取り出せる感覚を持っている。記憶がいつも現前する場合、それは心の病となる。心的外傷による記憶は映画のフラッシュバック型の記憶らしい。強姦された女性や性的虐待を受けたことがある人は、その場面がはっきりとした映像として蘇る。女性の実に半数以上が色々な段階の性的攻撃を受けているそうである。この本には、ポルノ写真を見せられた男性がなんて女性がかわいそうだと思い心的外傷になり、統合失調症として治療を長らく受けた症例がでている。この男性の反応はまともなものであるが、たいがいの男性は心的外傷とはならない。我々は、日々色々な外傷を受けている。普通のひとは、なんらかの補償作用でそれが深い傷にならない。それがなにかのきっかけで大きな傷になることもある。普通、人間は、対人関係に合わせて超多重人格になる。ある人と会うごとに知らずにその人格を変えている。これが病気になると多重人格(いくつかの人格)に収斂し、一つの人格になろうとするのが統合失調症だそうだ。そのため精神統一病といってもよいらしい。いろいろと興味深いことがこの本に書かれており、最終章は魔女狩りについての論文である。魔女狩りは、人間がなにをするかわからない動物ということの一例。最後に私と世界について引用する。

  むろん、「私」といい「世界」といっても、真実は「私/世界」という、不可分のものを指し
  ているのである。それは、ウォーコップ/安永浩のいう意味における「パターン」である。
  不可分なだけでなく、「私」があって「世界」があるのであり、「私」という概念が「世界」
  に優先する。「非-私」として「世界」を定義することは可能だが「非-世界」として「私」を
  定義できない。

オオカミの大きな口は、オオカミに襲われて辛うじて逃れた個体に、オオカミのあんぐりと開いた口の想起がしばしばフラッシュバックとして起こるならならば、この個体は、そうでない個体と比べて生存率が高いであろうという外傷性記憶についての例としばしばこの本にでてくる。

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Catch a cold

土曜日は、学芸大学駅の近くのスタジオで撮影して、そのまま等々力へ行こうとしたのですが風邪をひいてしまい体調が悪かったためそのまま帰宅。熱がでて、鼻水にのどは痛いはで、家で寝ていました。

<川崎F 4 - 3 新潟>
観戦できなかったので、ダイジェストを見ました。去年のフロンターレのようで、憲剛が2点取ったのもよかった。失点はいつものとおりで、これは今年のうちには修正できないと思うので、点をたくさん取るしかありません。久木野のゴールはギリギリで入ってついていた。久木野はまだ20歳なので、五輪代表候補になる可能性も。でも監督があの人だからなあ。

<福岡 0-1 札幌>
これもダイジェストを見ましたがよく勝ったなあ。この時期は、試合の内容より勝ち点3がなによりです。ヴェルディは当分負けそうにないから、札幌も負けるわけにいかないでしょう。あと5試合なんとか凌いでほしいです。

<横浜FC降格>
管理人は、川崎と札幌が降格した試合を両方ともアウェイで観戦しましたが、試合後はなんともいえない気持ちになります。8月に高木監督が辞任して、むちゃくちゃな補強をした時点で決まったような感じがします。いくら移籍金がかからないとはいえ、補強した選手が30歳以上が多く、怪我人が出てはうまくいかなかった。来年も高年齢元日本代表をチームに残すようではJ1復帰どころか、元の定位置に戻ると思います。フロントの方々は全員残るそうです。経費節減のため、社長が神戸戦の観戦を回避したというのは本当なんでしょうか。不思議な感じがします。札幌がもし昇格したら、補強はピンポイントで、90分間走れるスピードのある選手を入れて欲しいものです。サッカーの場合、大量にメンバーを代えるとチームとして機能するのに時間がかかると思います。

<リーガエスパニョーラ>
バルセロナもレアルも負けました。ブラジルの代表組はベンチにも入っていなかった。国際マッチデーの後の試合は、この2チームは負けることが多いような感じがします。バルセロナのBojanはクラブ最年少記録の得点を決めました。17歳なのにゴール前で落ち着いてGKの動きを見てシュートしていました。おそるべき17歳。日本の選手も見習って欲しいものです。

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池田るりさん

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Wall Paperさんの新しいスタジオで池田るりさんを初めて撮影しました。午前中は病院へ行って薬を貰い、その後、修理に出していたカメラを引き取りにキヤノンのサービスセンターへ寄ってからスタジオへ。池田るりさんは、ファッション雑誌の読者モデルで活躍しているかたです。高校生のときに声を掛けられて読者モデルになり4年目だそうです。大学4年生で、今の時期結構暇だそうです。新しいスタジオはまだ備品が揃っていないため、今回はレフ板も使わない自然光のみで撮影しました。池田さんは撮影に慣れているので、管理人はいつものとおりシャッター押すだけでした。天気もよく、新しいスタジオで、初めてのモデルさんということで、今までで一番カット数が多かったです(管理人は風邪をひいて調子が悪かったのですが)。

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北京オリンピック最終予選

U22 日本代表 1 - 2 U22 カタール代表

録画して見ました。結局、いつものようにチャンスに決められず、後半運動量が落ちて、攻め込まれる。今までは、なんとか凌いだのを、伊野波のハンドでPKを与え逆転負け。カタールの1点目も伊野波がマークして押さえ込んでいたハサンにヒールで得点されたもの。もともと伊野波は守備が?なのでしょうがない。青山敏弘と細貝とのダブルボランチは、後半DFラインに吸収され6バックのような感じになり、間延びした中盤を柏木が献身的に動いていたのですがなにせボランチが上がってこないので攻撃の形になりません。李に代わった森島は孤立したままでした。細貝は、Jリーグでも試合に出ていないし、ボランチもやっていないのでもともと無理な起用だったと思いました。それでも、前半のチャンスや後半の立ち上がりのチャンスを決めていれば勝てた試合だと思います。いかせん、シュートが枠にいかない。これでは、アウェイのベトナム戦で大量点を取れるとは思えないのですが。というか勝てるのかあやしい感じがします。下に「必然の敗戦」の記事。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/beijing/column/200710/at00015060.html

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GEKKO グリーンラベル

月光モノクロ写真用インクジェットペーパー「グリーンラベル バライタ調紙/滑面光沢」を使ってみました。六切り15枚でヨドバシカメラで1890円。厚さが360umとブルーラベルに比べ厚くなっています。昔プリントしたバライタ紙と比べて表面は遜色はないです。ひなさんに渡す写真をプリントしてみました。プリンターはPX-5500を使用。設定はポートレートなので純黒の軟調。プリントしてみた結果はブルーラベルに比較して、より白黒プリントに近くなっています。銀塩のバライタ紙と比べると、やはり黒の深みが足らない感じがします。といってもこれはプリンタのせいかもしれまんせが。管理人が使ったインクジェットペーパーのなかでは、いちばん銀塩モノクロプリントに近い感じがします。たくさんプリントする時やカラープリントならブルーラベルを使い、モノクロプリントのときはグリーンラベルを使うということになりそうです。ブルーラベルのときも言ったのですが、A4サイズをなぜ出さないのか不思議なんですがどうにかならないでしょうか。六切り、四切り、A3ノビというサイズ系列はちょっと使いにくいと思います。銀塩バライタ紙を知らないひとは特に「グリーンラベル」を使うということはないと思いますが、昔銀塩バライタ紙を使っていたひとにはお奨めです。これはあくまでインクジェットペーパーとしてのはなしで、銀塩バライタ紙の代わりになるという意味ではありません。デジタル撮影素子と銀塩フィルムとの比較があまり意味がないのと同じことです。

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擦過する現実

「思想としての全共闘世代」 小阪修平

この本は、今年の8月に亡くなられた小阪さんの60年代を中心とした自伝的な回想記である。世代論というよりも小阪さんの考えを時代に即して述べている。もし、全共闘世代が世代として小阪さんのような考えを持っていたら、今の社会はもう少しましになっていたのではないかと全共闘世代の後の人間は思ってしまう。著者も経験を語るのは難しいと書いているように、60年代後半、学生運動にかかわった人たちの経験は様々であり「全共闘世代」の経験として一括りにはできないと思う。だから、小阪修平というひとりの人間がその時代を経験して、考えた回想であるからこそこの本は面白いのだと思う。もちろんある特定の党派のイデオロギーに基づいての回顧ではない。著者は、この本の中で何度か三派全学連と全共闘との違いを述べている。全共闘には指導者が明確なかたちで存在しないし、基本的に上下関係がない組織である。全共闘には闘争目標や連絡会議・実行委員会があるだけで、規約もなくだれが構成メンバーであるかさえも明確ではない。だから、いつ参加し、いつやめたかもはっきりしない。69年1月に安田講堂が落城し、東大全共闘は少数派となり孤立への道を歩みはじめる。「連帯を求めて孤立をおそれず」は二重の意味を持った。70年代に入ると、セクトの分派闘争による内ゲバが頻発し、また武装路線の少数派のセクトが交番襲撃事件や爆弾事件などのゲリラ闘争を行い「内戦の論理」が支配する。こうしたなかで、共産主義化=銃による殲滅戦をになう革命戦士になることをスローガンにした連合赤軍の事件が起こる。連合赤軍が個人の行動を集団の「倫理」に解体するような組織であったことが、総括の遠因であり基本であったと著者は見なす。総括に対する組織の動揺や疑いを「敗北死」=革命戦士の敗北イコール死という論理のすり替えによって隠蔽した結果、14人の「総括死」となった。著者は、つながる要素があるから連合赤軍的なものは、全共闘的ものの「敵」なのであると述べる。この後、反日武装戦線による爆破事件が相次ぐ。これは「内戦の論理」が市民を敵とするところまでいった結果だった。著者は70年代、大学を中退しアルバイトに明け暮れ、試行錯誤を続ける。著者は同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になったという印象をもった。80年代、90年代はこの本では頁数が少ない。著者は、最後のほうで次のように述べている。

  70年代以降の30年あまりを回顧してみると、ぼくは「現実」に一歩距離をおいてだんだ
  んぼんやりと、今風に言うならば比較的「ゆるく」生きるようになってきたような気がす
  る。現実に巻き込まれてしまったら、それだけではすまない状況はいくらでもあるだろ
  う。ぼくには、外側の「現実」にあまりリアリティを感じないということだけではなく、どこ
  か自己防衛の態度もあったのかもしれないとふりかえっている・・・・ぼくは、全共闘世
  代は優れたやつほどダメになってしまうような負荷をかかえて生きてきたと感じるし、
  無駄なこだわりも多い。だが、語られないことのほうが重要だという感触もいつももって
  きた。どれだけの想いが語られぬまま消え去っていったのだろう・・・・全共闘経験とは
  「つかまれてしまった」ということであり、人生にとって重要なのは、たいてい自分が意
  図したことよりむこうからやってくることだ。その意味でぼくは運命(あるいは宿命)とい
  うことばを使う。

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スウィート・ソウル・ミュージック

「ソウルの風景」 四方田犬彦

  すっかり変わってしまったんだと、わたしは心のなかで呟いていた。あの頃は空港のい
  たるところで軍服を見かけたはずだ。税関審査では鞄のなかを細かく検められ、目の
  前で雑誌の頁をビリビリと破られたし、ひとつひとつの電化製品について説明を求めら
  れたものだった。

金浦空港で著者が、日本人の若い女性たちが何の屈託もなく旅行ガイドブックを見てはしゃいでいる姿を見たときの感想である。この本は、著者が21年ぶりに韓国の地を踏んだ時の印象記だ。2000年の韓国では、日本の文化が単なる表層のブームではなく、現代韓国文化の内側に構造化されて根付き混合文化を作り上げようとしていた。日本映画は定着し、漫画は8割が日本の漫画の翻訳だった。文学では、村上春樹がブームとなり、日本で発売されるとすぐに翻訳されハルキ世代を作り出した。あるとき著者は、今もっとも流行っているトンカツ屋で食べた後、ブラブラとそのあたりを歩いていると、いかにも典型的な日本の女子大学生の3人連れが韓国人の通行人に向かって、日本語でカメラのシャッターを押してくれと頼んでいるのを目撃した。それは70年代ではありえないことだったと著者は述べている。また、元従軍慰安婦が住んでいる家に、ハングル語も読めず、現代韓国史の知識も持ち合わせていない日本人のOLの観光客が訪れて「ハルモニのお婆ちゃんたちの顔を見ていると、何となく安心してきちゃんうんです」と無邪気に振る舞っていたのを見て、著者は次のように述べている。

  彼女たちはいったい何だろうかと、わたしは考えていた。おそらくナヌムの家を訪れる
  ことは、気楽に、そして友好的な気分のうちに遂行できる虚構の巡礼の一種なのだ。
  そこで彼女たちは、日本での生活ではどこまでも曖昧なままにされている自分の、女
  性としてのアイデンティティを明確に確認することができる。少し過酷な表現になるかも
  しれないが、元宗主国の国民である彼女たちは、女性である自分を認識するために、
  旧植民地での元従軍慰安婦との出会いという悲惨にして善意の物語を必要にしてい
  るのではないだろうか?わたしは日本に帰国後も、ナヌムの家へ行ったと得意げに語
  る女性たちにしばしば出くわすことがあった。ニューヨークがアートの聖地であるよう
  に、この施設こそがあらゆる女性が足を向けるべき聖地であるかのように語ることで、
  彼女たちの多くは共通していた。

僕は、この日本人の女性たちの認識があまりにも甘いと思った。いくら「無知は力」でも、僕には理解しがたい行動だ。日本のオヤジたちが買春ツアーで顰蹙をかったのも忘れられ、光州も民主化の聖地として観光地となってしまったそうだ。いまでは、光州事件も、金大中氏拉致事件も知らない人々のほうが多い。韓国のタレントが日本語を話して、日本のCMやTVに出演する時代である。日本にとって韓国は、従来考えられてきたような、一元的な他者であることをやめ、日本の内側に控える無数の他者と交感しあう多様な他者の束として認識されることになるだろうと著者は最後に述べている。

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鉄道の日

今日は鉄道の日ということで、鉄道博物館がリニューアル開館。「タモリ倶楽部」で2週に渡って特集していました。原田芳雄が「鉄ちゃん」だったのを知ったのは、「タモリ倶楽部」でです。役者のときのイメージとは違って、単なる鉄道マニアのおっさんでした。管理人は、宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」を読んで、挑戦しましたが1万キロ位で挫折しました。

<札幌 2 - 1 草津>
厚別の最終戦。勝ったのはよかったですが、ダヴィがイエロー貰って2試合出場停止。西谷がけが。苦しい戦いが続きます。京都は今頃監督代えてどうする気なんだろうなあ。やはりあのかたの意向なんでしょうか。
<ナビスコ杯決勝>
2000年のときは、ホーム準決勝と決勝が国立競技場で、両方とも見に行きました。決勝の相手は鹿島だったので勝てる気がしませんでしたよ。その時、等々力競技場の開幕戦で、相馬のミドルシュート一発で負け、カシマスタジアムではボコボコで負けて、一度も鹿島に勝ったことがなかったフロンターレでした。2000年のアウェイの試合で管理人は一度も勝った試合を見ませんでした。今回はG大阪が対戦相手なので、期待がもてそうです。ガンバとフロンターレの対戦だと国立は満員にはならないだろうなあ。
<PC>
Photoshop CS3のBridgeがよく落ちるので、PCを買い換えて、昨日と今日はsetupしていました。CPUはIntel Core2 Dual clock 2.66GHz、.メモリーはデュアルチャンネルDDR2-SDRAM を4GByte、HDはSTATA 500GByteとしたらPhotoshop CS3がサクサク動くようになりました。しかし、こうまでしないと最近のソフトは動かんのかねえ。スペックだけなら、ちょっと前のスパコン並みですよ。Windows Vistaはなんだか動きが重いです。余計な機能が多いような気がします。Photoshopはサクサク動くようになったけど、肝心のカメラが故障して撮影できない(泣)。

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ナビスコ杯 川崎 4 - 2 横浜FM

今日は、非常に珍しいものを見せてもらって、よかったです。宏樹のミドルシュート、GK松田、川島のシュート。こういうときに限ってカメラが壊れてしまって写真が撮れなかった・・・_| ̄|○

最初、いきなりマリノスが清水のクロスに大島が凄いシュートを決めて先制し、その後も押されっぱなしで、今日はやばいなあと思っていました。今日も変形の4バックで、森が下がり気味で、宏樹が上がり気味。マリノスのゴール前で、こぼれたボールを宏樹がミドルシュート。なにかボールが揺れながら、反応した榎本から逃げていくようなシュートがゴールに吸い込まれて場内が大歓声。宏樹があんなシュートが打てるとは知らなんだ。新人のころからみていますが、あの距離でシュートを打ったのは見たことがない。これで俄然フロンターレの動きが良くなって、憲剛のキラーパスからテセが決めて2点目(これは管理人が見ていたところでは、オフサイドに見えたのですが)。今度はテセのクロスをジュニーニョが合わせて3点目。これで楽勝かと思ったのですが、CKから坂田が頭で決めて3対2。敵ながら、ほんと坂田はよい選手です。後半に入ると、マリノスが一方的に攻めて、時々フロンターレがカウンターで攻めるのですが点が入りそうにない感じがつづき、やばいなあと思っていたら、ジュニーニョへのロングボールがPA前で大きく跳ねて、GKの榎本が思わず手を出してしまい一発レッドで退場。マリノスは3人すでに交代していたので松田がGKをすることに。このGKはDFのように前へ出てくるので、ゴールがガラ空きになることが度々ありました。心優しいフロンターレの選手はなかなかシュートを打たないので、GK松田はあまり危ない場面がなかった。それで一回、川島が相手ゴール目がけキックを打ったのですが、枠を大外れだったのであれがシュートの記録になるとは思いませんでしたよ。4点目は、前がかりになったマリノスのボールをカットして、ジュニーニョと黒津が抜け出して、GK松田と2対1のかたちになって、黒津が決めたもの。今日は押されていたけど、あまり危ない感じがしなくよく守っていました。やはり宏樹のミドルシュートでフロンターレが復活した気がしました。

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生き残れる者の恥

「境界線を超える旅」 池明観

この本は、「韓国からの通信」のT.K生こと池明観さんの自伝である。著者はピョンヤンから38度線を越えて、ソウルへきて、その後東京に20年住むことになる。著者は日本の支配下にあった朝鮮の中国国境の近く平安北道定州に生まれる。小学校、中学校は日本語で教育を受けた。この自伝も日本語で書かれている。朝鮮戦争のときに、通訳将校として前線におり、戦争の中でなぜ人間はイデオロギーの違いをあげて、こんなに血を流して戦わなければならないかと思わざるをえなかった。こうして最前線の生活のなかで、キリスト教へ回帰していった。1961年5月16日に韓国で軍事クーデターが起こる。朴正煕少将が全権を握る。そして1979年に暗殺されるまで権力の座にすわる。朴正煕は満州国の下級将校だった。著者は当局の命により1964年学校長を辞職し、ソウル大学の非常勤の勤めもやめさられる。1967年9月アメリカへ行く。ユニオン神学校で1年学ぶ。このとき、キング牧師の暗殺とロバート・ケネディ大統領候補の死に遭遇し、はかり知れない衝撃を受ける。「どんなことでもかまわずやってのけていた若い大学生たちもコロンビア大学の前のブロードウエイを元気なく黙々と歩いていくだけだった・・・・ほんとうに<アメリカの良心>を殺した白人として生まれた恥が、もしかしたら彼らの心の中に初めて頭をもたげてきたのかもしれない」。1972年朴正煕は半永久の大統領に就任する。著者はこの年、日本へ留学する。そして、T.K生として「韓国からの通信」を「世界」に15年間書き続ける。僕が「世界」を読んでいたころ、「韓国からの通信」と野間宏さんの「狭山裁判」の連載はいつ終わるかわからないまま毎号掲載されていた。僕が一番熱心に読んだのは大岡昇平さんと埴谷雄高さんの対談「二人の同時代史」だったが。T.K生とは誰かは見当もつかなかった。1979年朴正煕は中央情報部長金載圭に暗殺される。全斗煥は金載圭を処刑する。1980年5月17日光州事件が起こる。全斗煥は金大中内乱陰謀事件を工作し24人を逮捕し、金大中死刑判決(後に無期懲役に減刑)。このとき僕は予備校生で京都にいた。京大の僕の友人は、河原町で「金大中氏死刑阻止」のためハンストを行っていた。確かそれに連帯して京大西部講堂で、白竜が「光州シティ」のライブを行っていたと思う。僕にとって、白竜は俳優よりミュージシャンの印象が強い。アルバム「光州シティ」はその頃発売禁止だったと思った。韓国では、何が起こったかは報道されないため「韓国からの通信」が翻訳されて、密かに逆輸入されていたそうだ。このときの「通信」には、「韓国国民の戦いによって、あの残党が退き、民主化の勝利をともに喜ぶことのできるその日のために祈っていただきたい。暴徒によって血を流され、いまは孤立しているあの光州と木浦のためになしうることはなにか。それがいま私たちに呼びかけてくる歴史の声であると信じる」と書かれている。全斗煥は1987年6月抗争にぶつかって抵抗する国民の前に屈した。朴政権との戦いが終わった後に次のように著者は書いている。

  なぜ韓国は朴正煕の意図に反して一人の支配下にある全体主義国家にならずにすん
  だのか。それは韓国国民の独裁に対する熾烈な戦いがあったからである。そして何よ
  りも韓国は朴正煕がいかに国を閉ざそうとしても、本質的に世界に開かれていたから
  であろう。国際的連帯の中で韓国の民主化運動は展開された。
  そのためにも、朴政権の下で韓国の民主化が世界的支援の中戦われたことを世界史
  的な過程として想起せねばならないであろう。そこにキリスト教の役割もあった。そして
  日本でもかつては見られなかったような韓国の民主化運動支援のほとんど国民的運
  動があったことを想起しなければならないと思うのである。そのあいだ韓国内のマスコ
  ミは沈黙するか政権に協力するほどまでになっていた。それで私は今でも、とりわけ
  1970年代と80年代において韓国のマスコミが沈黙ないし権力に屈従することによって
  国民に与えた影響を思い出し憂鬱である。韓国国民は権力によって全世界的支援か
  ら隔離されていたのである。

「韓国からの通信」は、連載の一部だけが岩波新書として出版された。全ての出版はされないようだ。「韓国からの通信」の役割はすでに終えたということだろうか。

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東京オリンピックの日

今日は、昔なら体育の日。1964年10月10日東京オリンピックの開会式があった日。晴れの特異日だそうで、東京地方は今日も晴れていました。

<横浜FM 1 - 2 川崎>
管理人が見に行かないと勝つということですか・・・・_| ̄|○
横浜はやはり調子を落としていたのでしょうか。試合を見ていないのでなんともいえませんが。得点がジュニーニョだけなので、川崎はいつものとおりだったと思われます。13日は観戦予定なので、ホームでも勝って下さい。

<C大阪 1 - 0 札幌>
これが実力でしょうねえ。いままでツキだけで首位だったようなもんで。なにせ得点が取れそうな選手がいない。いまさら戦術を変えるとか補強とかはないと思うのでこのままずるずる順位を下げていくような気がします。最終的に、上位3チームに残れるのか??

順位   Team    勝点    試合数    勝    分    負    得点    失点    得失差 
  1    コンサドーレ札幌  75  41  22  10  57  40  +17 
  2    東京ヴェルディ1969  74  41  22  11  75  49  +26 
  3    京都サンガF.C.  71  40  20  11  67  49  +18 
  4    ベガルタ仙台  70  41  20  10  11  61  48  +13 
  5    セレッソ大阪  68  40  21  14  56  46  +10 

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ほんの話

「人間を守る読書」 四方田犬彦

この本は、古典からサブカルチャーまで、書評、作家論、ガイドなど155冊を紹介している。ダンデ「新曲」から岡崎京子の漫画まで。この本で紹介されていて、僕が読んだことがあるのは、「オリエンタリズム」「越境の時」「メイプルソープ」「自省録」「限界芸術論」「千年の愉楽」「パレスチナに帰る」「眩暈」「やし酒飲み」で、あんまり読んでいない。僕は昔からあまり漫画を読まないので、四方田さんの漫画論も読んでいてわからないことが多い。最近読んだ漫画といえば「スラムダンク」で、これは連載一回目から最終回まで「週刊少年ジャンプ」を毎号買って読んだ。単行本は結局一冊も買わなかった。その後に読んだ漫画は記憶にない。映画も家で観る派なので映画についても知らないことが多い。四方田さんのように、文化の全方向にアンテナを立てるのは僕にはちょっと難しい。でもこの本の書評・作家論は読んでいて結構面白い。理想的な本の読みかたをつぎのように書いている。

  本を読むさいにもっとも理想的な読み方とは、勉強とも仕事とも無関係に読むことであ
  る。ただ好きな本だけを気の向くままに読み、途中で飽きたら放り出し、またその気な
  ったら手に取り直すといった、気ままな戯れのうちに読むこと。雨が降って外に出たく
  ない日、本棚から雑然と何冊もの書物を取り出して、ベットのなかで読み続ける。読ん
  でいるうちに、あれはこうだろうとか、これはどうだったっけなと考えが浮かんできて、
  思いもよらぬアイデアに結実することがある。魂は気ままに遊んでいるように見えて、
  実は見えないところで探求を続けていたのだ。

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疲労困憊

今日は、渋谷・表参道・六本木・銀座そして国立競技場へ行ってきました。朝一で渋谷から表参道で写真を撮った。この間、表参道で出くわした雑誌の撮影は「装苑」だったのでした。

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次は銀座へ移動。これまたぶらぶらして撮影。今回はロケ隊には遭遇しませんでした。

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次は六本木の国立新美術館へ。安齊重男の“ 私・写・録 ( パーソナル フォト アーカイブス ) ”を見に行った。ついでに”フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展”を見たのが間違いのもと。まだ10時ちょっと過ぎというのにフェルメールのほうは超混雑。当日券1500円で満員電車のような展示会を見るくらいなら映画でも見たほうが良かった。こんなにフェルメールファンが日本にいたとは知りませんでしたよ(毒)。安齊重男写真展はすいていて、ゆっくり見られました。

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昼食をとってから、いよいよ国立競技場へ。

<横浜FC 0 - 1 川崎>
川崎が良かったのは最初の30分位まででした。先制点は、谷口と大橋のワンツーでゴール前へ抜けた大橋がシュートを打ち、GKがはじいたボールをジュニーニョが胸で押し込んでゴール。そのすぐ後、森のクロスがドンピシャで黒津へ。黒津のヘディングシュートはやっぱり枠の外。今日も打てども打てどもも入らないパターンかと思ったら、これが最後のチャンスになるとは思いませんでした。とにかく両チームともミスが多かった。とてもJ1の試合とは思えない出来でした。とくに川崎は箕輪と村上がミスばかりで、左サイドからの攻撃は殆どありませんでした。憲剛も相変わらずFKを壁に当ててばかりいました。後半、横浜FCが西山を入れてから、川崎は防戦一方。内田が箕輪と森をあっさり抜いて、クロスを入れると、フリーでカズがいたのですが、空振り。いやあ同点だと思いましたが、ゴール前の芝が痛んでいて、ボールがちょっと跳ねたので合わなかったみたいでした。その後、西山がドリブルで切れ込んで5~6人いた川崎の選手をかわしてシュート。これは川島が反応してはじく。このシュートもやられたと思いましたよ。川崎のほうは、DFでボールを回して、前に蹴るのですがこれが意図不明なことが多く、全く攻撃のかたちになりません。大橋に代わって、河村が入り、黒津に代わってテセが入ったのですがこれがすべて裏目で、全くといっていいほど攻撃は上手くいきません。ロスタイムには、横浜FCの内田のFKがゴールの角にあたるという危ない場面があって、今日はとにかく川崎がついていました。後半だけ見たらどっちがリーグ戦最下位なのかわからなかった。守備がよくて完封したのではなく、たまたま点が入らなかったというだけの酷い守りでした。リーグ戦の順位はどうでもいい位置にいるので、若手を育成しようという気はないんでしょうかねえ。ナビスコ杯を見に行くのやめようかと思った管理人です。

<札幌 1 - 1(PK 9 - 10)TDK SC>
今年の天皇杯はこれで終わりですか・・・_| ̄|○

管理人も川崎も札幌もリフレッシュが必要ですね ・・・・(´-ω-`)

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あっはとぷふい

「無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」 神奈川近代文学館

魔の山の影を眺めよ。
悪意と深淵のあいだに彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死霊達。

埴谷雄高『死霊』展を見てきた。1930年代の構想ノートが見つかり、今回はじめて展示されている。『死霊』に関する創作メモや草稿は膨大な量があり、埴谷さんが最後まで書き続けようとしていた様子が窺える。構想してから、60年近く書き続けて結局未完となった。カフカの小説のように『死霊』は永遠に未完だったと思う。最初の構想では、5日間の物語だった。4章から5章に27年近くの時間がかかっており、その後の章は、最初の構想から外れ行く展開で、埴谷さんのインタビューでも自分が生きているうちに5日目(12章)までたどりつかないだろうと答えていた。晩年、埴谷さんは深夜、ハンガリーのワイン「トカイ」を飲みながら、『死霊』に関する創作メモを書いていた。今回の展示にもこのワインが置いてあった。普段は、3プットを飲み、章が書き上がると5プットを飲んだそうだ。僕も埴谷さんが飲んでいるというので、以前よく飲んだ。「トカイ」は貴腐ワイン特有の凄く甘いワイン。豊多摩刑務所で砂糖を嘗めながら「純粋理性批判」を読んだという埴谷さんらしい。僕が『死霊』を読んだのは高校生のときだった。その黒い装幀に惹かれて買ったのがきっかけだった。『死霊』を読んだ感想は、それこそ「なんじゃこれ」だった。ちょうど『死霊』の5章が発表され、5章を纏めた本が出版されたばかりだった。この定本『死霊』は10万部以上売れたと今回の展示に書いてあった。『死霊』を実際に最後まで読んだ人は、2~3千人じゃないかと埴谷さんはエッセイで書いてあった記憶がある。労農派の運動に関わり、治安維持法で検挙された埴谷さんは、「革命によって社会を変えるだけでは駄目で、人間が変わらなければなにも変わらない。存在の革命まで行かなくてならない。しかしながら、すくなくとも自分が生きているうちは存在の革命の達成は不可能だ」という認識があり転向したそうだ。「政治」は「虚体」であり、日本では「市民」も「虚体」だ。僕がドストエフスキー、カントを読むようになったのも埴谷さんの影響だった。『死霊』のような小説は僕が生きているうちにはもう出てこないと思う。最近、小説を全く読んでいないので最近の作家についてはよくしらないのだが。

  ところが、文学というものはね、自然主義のほかは、幻想的なものは全部裏の現象で
  いくわけなのですよ。あり得ない非現実というものですね。あり得ないけれども、納得す
  るわけなのですよ、読者は。読者とその本との間だけには約束が成立して納得するわ
  けですよ。僕のいう虚体はその最高の約束が成立する世界なんですよ、あらゆるもの
  の夢想と。読む人がただしわれわれであるかどうかはわからないだけの話であって。
  実現を望んでいる夢想ですよ。(「埴谷雄高独白『死霊』の世界」より)

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だからいったでしょう

「フェルマーの最終定理」 サイモン・シン

「だからいったでしょう」はアンドリュー・ワイルズによって谷山・志村予想が証明(正確にいうと一部)されたとき志村教授が言った言葉。こういった科学啓蒙書を読んだのは久しぶりだ。ポアンカレ予想のテレビを見て、ペレルマンの本はないかと探したけど、やはりこれといった本がなかったので、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を買って読んだ。前半のほうは、よく知られた数学史的なことが簡潔に書かれており、後半はワイルズの証明の苦闘が描かれ特に面白かった。僕が大学にいたころは、「谷山・志村予想」が数学の難問として有名だった。僕は物理学科だったが、素粒子理論の研究室にいたのでやっていることは殆ど数学のような感じだった。それで、数学関係の雑誌とか論文も読んでいた。フェルマーが本の余白に書いた覚え書きが300年以上もの間、色々な数学者を悩まし続けた。もしいじわるなフェルマーがこのことを知ったら、ほくそ笑んだに違いない。ワイルズの証明は、現代数学の手法を積み重ねることによって証明にいたった美しい数学の証明だった。これに比べると、いわゆる「四色問題」の証明は美しくないのである。「四色問題」の証明を本で読んだとき、僕は複雑な気持ちになった。コンピュータを使った虱潰しの証明だったのだ。この本の終わりのほうにも書かれているが、これからはコンピュータを使った数学の証明が増えていくだろうと思う。ワイルズの証明がエレガントな数学の証明のしかたの最後かもしれない。志村教授の言葉を引用する。

  私は良さ(goodness)の哲学というものをもっています。それは、数学はその内に良さを
  そなえていなければならないということです。楕円方程式の場合であれば、モジュラー
  形式でパラメトライズできる方程式は良いものと言えます。私は、すべての楕円方程式
  が良いものだと期待しているのです。これはかなり粗い哲学ですが、出発点にするな
  らかまわない。もちろん私は次のステップとして、この仮説を支持するさまざまな専門
  的根拠を見つけなければならないわけです。この予想は、良さの哲学から芽生えたも
  のと言ってさしつかいありません。たいていの数学者は、自分の美意識に照らして数
  学をやっているものです。そして良さの哲学は、私の美意識から生まれたものなので
  す。

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ニトラー

<胸ロゴ「ニトリ」も コンサ支援強化 経営に光明>
家具インテリアチェーン大手のニトリ(札幌・似鳥昭雄社長)が、サッカーJ2コンサドーレ札幌の来季の主力スポンサー(オフィシャルパートナー)入りを検討していることが明らかになった1日、札幌を運営する北海道フットボールクラブ(HFC)の児玉芳明社長は「大変ありがたいこと。こちらとしても具体的に話し合いをさせていただきたい」と話し、支援内容を今後詰めていく考えを示した。(北海道新聞より)

「白い恋人」の件があっても、なにか楽観的だったHFC社長さんですが、こうゆう裏があったのですね。管理人が子供のころは、「似鳥家具店」だったような気がしますが、いつのまにか 「ホームファニシング・ニトリ」というおしゃれな名前になっていました。実家の近所に「ニトリ」があって、この頃いつも混んでいて、お盆に帰省したときも「ニトリ」がスポンサーになってくれればよいなあと家で話していました。ほんとうに実現するとは。しかし、胸のマークが「ニトリ」とカタカナ3文字なのはちょっとおしゃれじゃないような気がします。「Nitori」じゃなんだか分からないし、いまさら「家具の似鳥」じゃないだろうし。お楽しみは来年にとっておきますか。

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高校生じゃないけれど

「高校生のための哲学入門」 長谷川宏

高校生のためのとあるが、著者によると論が進むにつれて幻の高校生の読者の影は薄くなり、だれに読んでもらってもよいという境地で書くようになったそうだ。たぶん普通の高校生が読むと途中で読むのを止めてしまうかもしれない。ここに書かれているのは、哲学の学説の入門書ではない。なんとか主義とかなんとか説ということを優しく解説しているわけではない。自分、他者、社会、生死、老い、宗教、芸術等について考えることの導きという意味での入門書だと思う。難解な哲学ジャーゴンはでてこず、日常の普通のことばで語られている。といって内容は平易ではないと思う。著者は、塾をはじめて37年になるという。市井にあってヘーゲルの個人訳を行うなど研究を続けている。なぜ塾をはじめたかが最終章に書かれている。この章は著者の自伝的回想になっている。1969年バリケード封鎖した研究室のなかに身を置く日々、逆境や危機においてこそ知と思考は力をはっきりするはずなのに、文学部の教授たちはひたすら事態の沈静を願うばかりであった。大学はもう理性や知性を育てないような場になっているのではないかと著者は考え、大学の研究体制の外に出ていくのが著者にふさわしい身の処し方と思うようになり大学を去った。著者は、所沢に小さな塾を開く。この日常の暮らしを見つめると、そこには、書物に表現されない強靱な知と思考が見いだされた。

  各人の年齢や性格や経歴や体験や社会的位置が、知と思考に微妙な影を落として、
  意志の疎通を妨げたり、相互理解をむずかしくしたりする。が、意志の疎通や相互理
  解のむずかしさは、反面、わたしたちの生きる日常世界のゆたかさと複雑さのあかし
  だ。むずかしさに立ちすくむ必要はない。むずかしさのなかで、むずかしさを意識しつ
  つ、人びとはたがいの関係を深めてきたのだ。大きくいえば、そうやって、さまざまな人
  種や民族、さまざまな集団や個人が、自分たちの歴史を作ってきた。知と思考の力
  は、さまざまな人びとが対立し矛盾しつつ生きていく力であるとともに、対立と矛盾を克
  服し、たがいに理解し結びついて生きる力でもある。人間の長い歴史がそのことを教
  えているのだ。

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キノコを愛した博士

昨日、NHKBSハイビジョン特集「数学者はキノコ狩りの夢を見る~ポアンカレ予想・100年の格闘」という番組をたまたま見た。これが面白かった。ポアンカレ予想を解決したロシアの数学者について番組は追いかけた。結局彼の住んでいるアパートメントの前まで行くが彼は面会を断る。面会に協力をしたのは、彼の高校のときの恩師。彼とはグリゴリー・ペレルマン。高校生の時に数学オリンピックで一人だけ満点をとり優勝。物理学でも優秀だったそうで、そのことが微分幾何学によるポアンカレ予想の証明に役立ったとその先生は言っていた。ペレルマンはポアンカレ予想の解決によりフィールズ賞を受けるが辞退し(史上初めてらしい)、クレイ数学研究所の出している賞金100万ドルの受け取りも拒否する。アメリカから帰国して勤めていたステクロフ数学研究所も辞職して、どこにも就職せずに母親と共に暮らしているそうだ。そして、ときどきキノコ狩りにいくそうである。番組では、ペレルマンがキノコ狩りによくくるという場所を映していたが、結局本人の映像は写真だけだった。高校の恩師は、ポアンカレ予想を解決したのと引き換えに彼は何かを失ってしまったと語っていた。天才の心の闇は深い。

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1969.12.8

「ハイスクール1968」 四方田犬彦

この本は、四方田さんの高校1年から浪人を経て東大に入るまでの自伝である。著者が高校1年のときもっとも熱中したのが数学で、理系クラスにいたというのは意外だった。「大学への数学」のことがでてきて懐かしいかった。「大学への数学」の後ろの頁にある創作問題は、僕なんかは歯が立たなかった。しだいに著者は、映画、ジャズ、ビートルズ、ガロへ傾倒していく。1969年には全国の高校が、バリケード封鎖に突入した。新宿高校の封鎖された教室でドビッシーをピアノで弾いていたのは坂本龍一だった。著者がいた高校も1969年12月8日にバリケード封鎖が行われた。このとき、著者はバリケードのなかに留まることを選び、この場所を拠点として行動していこうと決意する。ところが、著者がいったんバリケードの外へでて自宅に戻り、食料を携えてまた学校へ戻ってみると照明が消えておりバリケードは解除されていた。機動隊が排除したわけでもなく、教師や民青と争ったわけでもなく、バリケード封鎖をしたメンバーが自主的に封鎖を解体したのだった。結局、学校当局はこの封鎖に関わった生徒を処分しなかった。学校側がなにもなかったことにしておきたかったのである。

  一六歳のときに生じたバリケード封鎖とその直後の一ヶ月の体験を、それからの自分 
  の人生の文脈のなかでいかに考えていけばいいのか。わたしはこの問題をめぐって、
  長い間、躊躇と拘泥という相反する気持ちを抱いてきた。事件は高校三年間のちょう
  ど真ん中に位置していて、地理学でいうならば分水嶺のような位置にあった。ゆっくり
  ゆっくりと登りつめてきた足取りが突然に目の前に出現した断崖を駆け降り、やがてそ
  れまでとほぼ同じ分量の、退屈にして凡庸な時間に耐えなければならなくなる。分水嶺
  を越えてしまったわたしに課せられたのは、まさしくこの忍耐の業であった。

この後、著者は学校へ行かない日々がつづき、ケーキ工場でも働く。高校三年に進学した著者は、大学受験の勉強を放棄するかわりに行ったことは、映画を観て、高校と関係のない書物に読み耽ることであった。学校の授業にも無関心になり、政治的なものにも興味を失う。そして著者は、東京大学文科三類を受験することにするが、受験に失敗し、予備校へ通うことになる。1972年2月連合赤軍のあさま山荘事件が起こる。著者は、2月20日あたりから28日までずっとTVで見ていたという。僕は小学生だったが、家に帰るとTVはずっとこの事件を放送していたような気がする。1972年2月は札幌五輪があった。「飛んだ決まった笠谷のジャンプ」と初めて冬の五輪で金メダルを取ったことと連合赤軍事件が同じ月のことだったのが、僕の記憶の中では、不思議な感じがしている。あさま山荘事件と、その後に発表されたリンチ殺人によって、学生運動は終焉をつげることになった。政治の季節の終わりである。著者は、この3月に東京大学文科三類に合格する。しかし、著者は二十歳を待たずにして「心が朽ちてしまった」のである。

  もう遊びの時間は終わったのだと、わたしの耳元で誰かが囁いていた。一杯のコーヒ
  ーを前にジャズの難解さを理解しようと耳を傾けたり、ユートピアをめぐって終わりなき
  対話を続けるような時代は、政治の季節の凋落とともに幕を降ろしてしまったのだと。
  60年代には孤立した前衛でありえた芸術は、来るべき70年代には、大衆消費社会の
  なかでほどよい面白さとほどよいスリルを備えた暇潰しに成り下がろうとしており、そこ
  で基準とされるのは、何よりもその場かぎりでの、パッケージ化された驚きであり、面
  白さでしかなかった。芸術が完全に消費財と化してしまう状況が、もうそこまで来てい
  たのである。

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