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「雨過ぎて雲破れるところ」 佐々木幹郎

「雨過天晴雲破処」は雨が過ぎ去ったあと、雲の破れ目に最初に現れる新鮮な青色のこと。陶磁器の世界では「雨過天晴」と呼んで、青磁の理想的な色を形容しているそうだ。この本は、詩人佐々木幹郎さんが群馬県嬬恋村に建てた山小屋に集まってくる人々の交流や村の自然について書いたエッセイー集。この山小屋で、佐々木さんは「シジン」と呼ばれている。シジンは週末に車を飛ばして小屋に通い、氷のオブジェを作り、スキー場跡地の草刈りをし、地蜂に刺され、ネパール式のブランコを作り、ジャムを作り、骨酒を飲み、シングルモルトウィスキーを飲み、色々な日本酒を飲み、オートハープを奏でる。この小屋では、いろいろな音楽家のコンサートが開かれる。ナターシャセブンの坂庭省悟、高田渡、小室等親子等々。坂庭省悟、高田渡はもう故人になっている。その思い出話は、人間の死について考えさせられる。坂庭省悟が最後、マネージャーのウチヤマさんに「ウチヤマ、これで、ジ・エンドやな」と言った。歌を歌い続けて完結した男の最期の言葉。ここにくるミュージシャンはシジンの詩に曲をつけ、シジンの前で披露する。そして、夜半まで酒を飲み交わす。シジンの身内が病で倒れることが続くが、この山小屋での交流がシジンを生き返らせたとシジンは述べている。都会はストレスが溜まり、シジンには生きにくい場所だ。

    手操り 下ろそうと ぼくは したが、
   綱も なければ それも 叶わず、
    旗は はたはた はためく ばかり、
   空の 奥処に 舞ひ入る 如く。

  心にかかる不安や心配事。生きるというのは辛いことだと、中也は「黒旗」に託して歌 
  う。ここで「空」は、人間の胸のなかであっていい。わたしは中也の詩のこの一節を口
  に出して呟くと、いつも気分が楽になるのだ。誰の胸の奥処にも「はたはた」と舞ってい
  る旗。目に見えない旗は、不安の象徴のように、人生という高空の一点にいつも浮か
  んでいる。その空の色が「雨過天晴雲破処」であってもいいだろう。雲の破れ目の宇宙
  の青い色が、「旗」のようにひるがえっているのだ。

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