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2007年9月

試練の時

今朝、レバンテとバルセロナの試合を見ていて、アンリは決定的な場面で落ち着いて簡単にきめるなあと感心した管理人です。アンリは結局ハットトリックでした。ロナウジーニョがいなくても、メッシがいればバルセロナの攻撃は問題ないように見えました。とにかくメッシは凄い。となかなか本題に入れません・・・・(´-ω-`)

<東京V 5-1 札幌>
3点目が入ったところで競技場を後にしました。雨降っているし、寒いし、どこでもドア持っていないし。もともと、J1並みの選手を揃えているヴェルディが今まで低空飛行だったのがおかしな話だったと自分に言い聞かせました。フッキとディエゴの2人で4点ですか・・・・_| ̄|○
今年昇格を逃すと胸のスポンサーが決まらない可能性があるし、間違って昇格すると今年の横浜FCのようになるのは目に見えているし、J2去るも地獄、残るも地獄。やはり強くなるのにはお金が必要か。ロシアの大富豪がニセコリゾートに投資するついでに、札幌のスポンサーになってくんない・・・・・・・(´-ω-`)

<川崎 1 - 1 甲府>
川崎はいつものように打てども打てども入らないシュート。決定力不足ではなくて決定力が無いというのが本当のような気がします。憲剛も森もどうしてあんなに枠を外すシュートを打つのか謎です。甲府は唯一と思えるチャンスを決めて先制点。箕輪が簡単に抜かれて、クロスを上げられ、フリーの藤田に決められました。前半だけでも川崎は、3回決定的な場面があったのですが、ジュニーニョのシュートは、2回GKに当たり、テセのシュートは枠の外。GKの好セーブというよりシュートをGKに向かって打ったような感じでした。ジュニーニョは最近決められません。テセは、ポストプレーができないし、トラップがヘタだし、シュートが枠に行かないという散々のできでした。なぜテセを使い続けるのかよくわかりせん。後半、甲府に2人目の退場者がでたのに攻めきれない川崎。フランシスマール → 我那覇の交代が裏目にでて、リズムが悪くなるし、我那覇は全く機能せず、ロスタイムに。ゴール前の混戦から、ボールがこぼれたところを谷口がループ気味のミドルシュートを決めてやっと同点。憲剛は相変わらず不調で、シュートもFKもだめでした。結局今年はこのままの調子で終わってしまうのでしょうか。来年も大幅なメンバーの入れ替えがない限り、タイトルを獲るという目標は現実的ではないと思いました。まあ来年の目標は変わると思いますが。

写真は本文と関係ありません。荒んだ心に癒しを・・・・・・・_| ̄|○

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明日は・・・

明日は、味スタと等々力のハシゴです。等々力は行かない予定でしたが、Jリーグとサッカー協会の偉い方々の発言を読んで行くことにしましたよ等々力。天気予報によると、最高気温 19℃、最低気温16℃ 、雨 時々止むです。涼しいです。味スタの試合開始が13時で、等々力が15時。どこでもドアが欲しい・・・・・ (´・ω・`)

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漂流の歳月

「祖国より一人の友を」 海老坂武

この本は、「戦後が若かった頃」「かくも激しき希望の歳月」に続く、自伝の三巻目にあたる。「かくも激しき希望の歳月」の読んだ後、早く次ぎを読みたいと思っていた。その待望の続刊がやっとでた。この巻では1972年から1989年までの自伝である。ちょうど昭和の終わりで終わっている。この本は、年数の割に頁数が少ない。その理由は、独り言にすぎないような部分を削除し、大学でのフランス文学研究関係の記述を載せず、2回に渡るフランス滞在もごく一部しか触れていないからだ。この本は、「戦後が若かった頃」「かくも激しき希望の歳月」に比較するとあまり面白くない。それは時代のせいもあるかも知れない。結局「かくも激しき希望の歳月」が僕には一番面白かった。それは1966年から1972年の<政治の季節>だったからかも知れない。ファノン、ニザン、サルトルは人々に確かに読まれていた。「祖国より一人の友を」の時代では、フランス現代思想が次々に輸入され、消費されていった。「構造主義」「ポストモダン」「脱構築」等々の内容を伴わないキャッチフレーズが溢れた。誰でも「ポストモダン」だった。前述のとおり著者がこの時代に大学でどんな研究をしていたのかわからない。「シングル・ライフ」が意外に売れた為、男女関係に関わる講演や書き物が多くなる。それに関係してか、女友達との交流の記述が増える。この第三巻は、何度も書き直したためか内容が散漫になっているきらいがある。それも時代のせいか。その理由というか言い訳みたいなことを後書きに著者は書いている。

  ところが、この巻ではそうはいかなかった。自分の生の足跡を辿り、言葉にしていく作
  業において、私はしばしば砂漠の中で語っているような孤立感を覚えていた。この言
  葉は読者に届かない、しばしばそういう思いにとらわれた。私自身の生き方にも因が
  あったのだろう。共通の場が失われたことを痛感していた。

僕がこの本を読んだ限りでは、孤立しているというよりも、「シングル・ライフ」で時流に乗ったまま、著者が<右傾化している>というこの時代にコミットしているのに本人が気づいていないのではないかと思う。だから料理と女友達との交流ばかりが印象に残り、現代思想や世界状況についての記述が希薄な感じがするのである。「愛国」がむなしいならなぜ行動を起こさないのか。もうサルトルもファノンもいないのである。同じ回想でも、鈴木道彦さんの「越境の時」と印象がだいぶ違うと思った。

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背番号29

マギヌン:

「残念。こういう結果はサッカーではよくあること。タニの責任じゃないのだから、声をかけることはしなかった。負けたのはチーム全体の責任なのだから。自分たちが勝つ条件はすべて揃っていたのに、勝利を逃してしまった。チャンスにトライしていたが、入らなかった。流れがこちらに向いていなかったのもある。ホームもアウェイも同じファイティングスピリットで気を抜くことなく戦った。アウェイでの試合は長い旅という高い壁を乗り越えて戦った。相手も長い時間をかけて日本にやってきたが、いい試合をやっていた。とくにGK、守備がしっかりしていた。試合に負けるとミスやチームに欠けている部分がフォーカスされてしまうものだ。それは結果論ではあるけれど。もう少し落ち着きがあれば良かったが、試合で負けたので後悔はある」(川崎フロンターレオフィシャルWEBより)

フロンターレ背番号29、谷口博之。横須賀出身、横浜FMユースからフロンターレへ。ユースのときはキャプテンもやっていたので、まさかそのころJ2のフロンターレにくるとは思わなかった。国体神奈川選抜で優勝しているメンバーで、代表経験もあるボランチ。なぜマリノスが上にあげなかったのかよくわからない。その当時のマリノスの監督は岡田さん。フロンターレに入ってから、センターバックをやったりしたけど、去年ボランチのレギュラーに定着してから大活躍。去年フロンターレがJリーグ2位になったのも谷口のおかげ。憲剛、谷口のダブルボランチはベストイレブンにも選ばれている。寺田選手に以前聞いた話によると、二人でよく釣りをしにいくそうだ。好きな食べ物は魚(ぶり)。目標とする選手はロイ・キーン(渋い)。ときにはえげつないファールもするけど、1対1に強いし、ヘディングも強い。驚くようなミドルシュートも決める。FKも蹴れるらしい。管理人は反町監督が嫌いだ。というのは、谷口を代表に選ばず、大学生の本田を選んでいるからだ。法政の本田の何が嫌いかというとあの髪型だというのは本当だけど、時々みせる生ぬるいプレーはとても代表に選ばれるような選手には思えない。今度五輪予選で、法政の本田が累積警告で出場できないからといって、谷口を五輪代表に選ばないで貰いたい。谷口は、法政の本田の控えの器じゃない。

昨日、負けたのは谷口の責任じゃないのはみんなわかっている。多分、少し休めという天の配慮だと思う。だから、ナビスコ杯はガンバレ。谷口が一番燃える相手、横浜FMだ。管理人は期待している。

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川崎 (PK4) 0 - 0 (PK5) セパハン 

AFCチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝第2戦は延長でも決着つかず、PK戦に突入しましたが谷口が外し、セパハンは全員決めて、川崎の敗退。結局、決めるときに決めないと負けるということ。セパハンは穴熊作戦で、川崎は引かれるとなかなか崩せないのですが、今日は何回もチャンスがあったのに点が取れなかった。セパハンよりG大阪や浦和のほうがずっと強い気がしました。関塚監督がテセになんであれだけこだわったのかよくわかりませんが。テセとジュニーニョはなんか合っていなかった。ジュニーニョのシュートが一本も入いらないし、箕輪のどフリーのヘディングシュートはGKへのパスになるし、ゴール前のFKも色々トリックプレーをやるけど入らなかった。一点がとにかく遠かった。最近の川崎の試合を見ているとイライラばかりして身体によくないので30日は味スタへ行くぞ。

労多くして功少なしAFCチャンピオンズリーグ・・・・・・(´-ω-`)

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札幌 3-0 山形

久々に3得点で勝利。やはり気候が良かったのでしょうか。30日は味スタへ行く予定。もうそんなに暑くはないんでなんとかなるかなあ。最近、ベルディは調子がいいので頑張って欲しいです。

順位   Team    勝点    試合数    勝    分    負    得点    失点    得失差 
  1    コンサドーレ札幌  75  39  22  56  34  +22 
  2    京都サンガF.C.  69  38  20  64  46  +18 
  3    東京ヴェルディ1969  68  39  20  11  67  48  +19 
  4    ベガルタ仙台  66  39  19  11  59  47  +12 
  5    セレッソ大阪  65  39  20  14  55  46  +9

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松の実を摺ったお粥

「先生とわたし」 四方田犬彦

僕はこの本を読んで自分がいた大学の雰囲気とだいぶ違うと思った。これがやはり東大とそれ以外の大学との違いなのだろう。伝説の知性・由良君美との出会いから別れまでを検証する長編評論と本の帯にある。由良君美の本は、殆どが絶版となり入手が難しい。「伝説の知性」だったひとの著作集も出版されていない。その理由の一因は、この本を読むとわかるような気がする。僕が読んだことがあるのは「みみずく古本市」だけで、辛辣な評論が多く、それっきり由良君美の本は読まなくなった。例えば次ような文章。

  法王某は『無常というふこと』の八方破れのあと、文字どおり鐔を文学と観ずる恍惚に
  走り、それを論じて文壇に月評子となりし某は、憐れや今世紀の弁疏も身につかぬま
  まに、百数拾年の昔に生前はや遷化されし、<・・・とその時代>なるヴィクトリア朝的風
  習に安住したもう。『言語にとって云々』とやらの長文の垂れ流しに、一握の書生を糾
  合させし牛飯  屋主人某は、近代言語学に一切通ぜず、フォルクス・エティモロギーに
  浮き身をやつし、某々の憫笑を買いしと言う。

ここで示しているのは、小林秀雄、江藤淳、吉本隆明の三人である。この三人は、方法論を欠いた印象批評の輩と見なしていた。とくに由良君美は江藤淳を忌み嫌っており、著者が東工大の江藤淳の助手の就職口を断った後、もし江藤淳の助手になっていたら一生口をきかなかったと由良君美と言われたそうだ。由良君美自身は、その方法論によった体系的な著作を残すことはなく、結局、短い批評・論文・エッセイばかりを書いていた。由良君美は、徹底した読書の人であり、稀覯本の収集家であった。由良君美は晩年アルコールに惑溺し、著者が決別を決心する事件が起こる。それは、由良君美の著者に対する競争意識であり、弟子が世界中を気軽に回って新知識を披露することに対する焦燥の念の現れだった。由良君美は外国へ行くことをあまり好まず、フランス語もできないため、バルト、ラカン、デリタなどの現代フランス思想家の言述を引用する著者の本にいらだちを感じたようだ。著者は、どんな人間でも世界にたいして知的好奇心を抱いている限り、若き日に師と呼ぶべき人物に出会うはずだと述べる。由良君美は、著者にとってまさしくそういう人物だった。しかし、あるときから著者は由良君美を弟子に去られ、不幸な没落を重ねていく、悲嘆と後悔の人として眺めるようになった。由良君美は六十一歳で亡くなった。生前に交際があったひとで追悼を記す者は著者以外にいなかった。

  由良君美という存在の再検討は、かつては自明とされていた古典的教養が凋落の一
  途を辿り、もはやアナクロニズムと同義語と化してしまった現在、もう一度人文的教養
  の再統合を考えるためのモデルを創出しなければならない者にとって、小さからぬ意
  味をもっているのではないだろうか。わたしはゼミの後で由良君美の研究室に成立し
  ていた、親密で真剣な解釈共同体を懐かしく思うが、ノスタルジアを超えて、かかる共
  同体の再構築のために腐心しなければならないと、今では真剣に考えるようになって
  いる・・・人間に知的世界への欲求が恒常的に存在しているかぎり、師と弟子によって
  支えられる共同体はけっして地上から消滅することはないだろう。

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私が私であること

「関係としての自己」 木村敏

木村敏さんの本を久しぶりに読んだ。木村さんの本は難しい。僕は木村さんの新著がでるとだいたい買って読む。理解しているとはいえないが、読んで面白い。現象学的精神病理学の立場にたつ著者は、統合失調症(この本のなかでは、分裂症と統合失調症の両方の記述があるがここでは統合失調症で統一する)を同種集団の一員としての自己と単独者としての自己のあいだの微妙な調整の達成が困難になる病と考える。「自己である」あるいは「自己がある」ということは、「自己を見いだす」という「働き」ないしは「行為」によって形成される。統合失調症の患者は、幼児期の自己発見が阻害されいていると考えられ、「自己」の主体性ではなく、「他者」の主体性によって行動せざるをえなくなる。それは「『自己が自己に於いて自己を見る』のではなく、『自己が他者に於いて自己を見る』ことを強いられる」。「宇宙人からの指令」とか「見知らぬひとのささやきが聞こえる」などの統合失調症の患者にみられる症例がこのことを示している。現代の脳科学の進歩により、意識やこころについて、ニューロシステムの物質的活動とみなし、独立した実体をもたないと見なす物質還元論を強力に推し進めるグループがある。全ての生物活動を量子力学的状態関数によって記述しようとする生物物理学者もいる。しかしながら、「唯一絶対」の単独者としての自己、別の言葉で言えば、自己の死は他者によって代わることができない存在を還元主義で理解しようとすることは困難である。また、旧来のデカルト的心身二元論は、「生きている」という原初的な事実が物心両面の現象界に投影された幻影に過ぎないと著者は見なす。

  旧来の二元論をそのいずれかの一方に「一元化」することによって克服しようとするの
  は、「対象化可能」「合理化可能」という餌におびき寄せられた安易な方途でしかない
  だろう。形而上学と自然科学的生物学の「あいだ」そのものは、どこまでも対象不可能 
  であり合理化不可能である。しかしこの「あいだ」、この接点を考え抜く作業なしには、
  「心の医学」として精神医学はその根拠を失うだろう。われわれに求められているの
  は、主観を客観化することなく主観のままで「非合理的」に、しかも「科学的」に思索す
  るという、困難な途である。

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暑い札幌

  北海道上空に停滞する前線に南から暖かい空気が流れ込んだ影響で、21日の道内は
  各地で気温が上昇、札幌市中心部では午前11時34分に31.1度を観測、同地点としては
  1879年(明治12年)の観測開始以来、最も遅い「30度超え」となった。
  石狩や網走地方を中心に気温が上がり、北見市常呂で32.5度、網走管内遠軽町で31.9
  度を観測した。
  日本気象協会道支社によると、札幌では1921年(大正10年)9月18日に30.1度を観測した
  のが、これまで最も遅い30度超えだった。また、道内で9月下旬に30度を超えたのは、98
  年9月21日に網走市で31.6度を観測して以来。(北海道新聞より)

8月に実家へ帰ったときも連日30℃越えで、暑い暑いを連発していた管理人です。実家にはエアコンというものがないので、窓を開けて昼間からビールを飲んでいました。この調子だと年末も雪がない「黒い札幌」なんでしょうか。何年か後には、昔札幌にも雪が降ってたことがあって、雪まつりもやっていたんだよという昔話をすることになるんでしょうか。関東地方もお彼岸だというのに暑く明日も30℃越えのようで、平塚の試合は色々な意味で熱くなるんでしょうか。明日札幌が負けると昇格に黄色信号点滅ですか。第4クールで失速するのが一番まずいパターンで、点をあまり取れない札幌が入れ替え戦にでても勝てる可能性が低いので、なんとか2位以内を確保したいものです。管理人はお台場近辺に用事があるため、平塚にいけません。

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セパハン 0-0 川崎

森勇介選手(川崎F):

「引き分けはダメです。ただ、決定的なチャンスは俺達の方が多いし、無失点で終われたのは大きい。次は点を取らないとダメ。相手の強さはまあまあでした。ガンバの方が強い。日本にはない感じのチームだけど、なんとかなると思います」(J's GOALより)

AFCチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝第1戦をliveで見ていたので今日は眠かった管理人です。決定的なチャンスはフロンターレのほうが前半5回あって、全てシュートが枠に行かないかGKの正面というとほほな状態でした。テセのシュートは3回とも枠の外。どうしてあんなに慌ててシュート打つのかよくわかりません。ジュニーニョのシュートも精度を欠いていました。浦和の試合も見たのですが、田中達も何度もシュート外したけど1点は取ったのとはえらい違いです。前半の途中からフロンターレの運動量が落ちはじめ、後半は相手に攻め込まれることが多かった。でも森選手が言っているように、そんなに強豪チームではないと思いました。後半も決定的なチャンスはあったのですがやはりシュートが・・・(T_T)
伊藤選手のマークが甘く、相手選手が川島と1対1になったのですが、何とか防いで得点を入れさせません。川島が凄く怒っていたのも納得できる、ふがいない守備です。結局リーグ戦と同じで、決められず、守れずなんですけど無得点だったので良かったのかなあ。全北現代が最後まで点を取ろうとしたのに比べて、フロンターレは最後のほうは引き分けでもよいというなボール回しでした。0-0の引き分けなので、次戦ではフロンターレは勝つしか、次に進めません。セパハンは得点を取った引き分けでも次に進めます。間にJリーグの試合があり、ホームなのに相手のチームのほうが有利。いくらアウェーでも1点は取らないとねえ。柏戦はメンバー代えるのか、頑固にこのままで行くのか、関塚監督の考え次第ですが、憲剛はさすがに休ませたほうが良いと思います。あんなに足がつっている憲剛は見たことがないです(訂正:今日インタビュー読んだら、時間稼ぎもあったらしいです)。しかし、このままでは、リーグ戦・ACL・ナビスコ杯全て中途半端になる可能性があります。今の横浜FMにヘロヘロのフロンターレが勝てるとは思えないんですけど。

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瞬間の記憶

WOWOWで放映していた「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」を見た。ブレッソンはライカ使いとして有名。レンズは50mmで、絞りはf5.6、ピントは10フィートあたりに固定。さっと撮るには、レンジファインダーカメラが良い。ピントも固定しているので、構図に集中できる。フットワークの軽快さでさっと撮るからライカを使う。さっと撮るのがいかに難しいかは実際写真を撮っているひとにはわかると思う。であの構図を瞬間に切り取る。ブレッソンが天才と呼ばれる所以である。ブレッソンは計算して写真を撮ったわけではなく、「あっこれだ」と感じた瞬間にシャッター押したそうだ。ブレッソン本人は、偶然だといっている写真もあるが、偶然であのような構図が配置されるところにいるというのも才能ということか。森村泰昌さんの本には、ブレッソンの写真を解説した文章がある。ブレッソンの何気ない写真の構図の凄さは森村さん(というかアーネスト・サトウさんの講義)の解説でわかったような気がした。戦争の悲惨さが克明に撮影されている写真、人間愛に満ちた良い写真だとかは人間で言えば爪とか髪とか皮膚、ようするに肉体の部分で、ブレッソンの何気ない一見安易なスナップには、目に見えない構図=骨が画面に潜んでいる。ブレッソンの晩年はドローウィングに熱中したそうだ。写真を撮影するフットーワークが使えなくなったことも一因のようだ。ブレッソンは自分では現像もプリントもせず友人に任せていたというのは初めて知った。私には現像の才能がないと言っていた。

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肌理の探求

「感覚の幽い風景」 鷲田清一

また、鷲田さんのエッセイ集。鷲田さんのエッセイには、ファッション関係の話が多いので色々参考になる。この本には、「まさぐる」という言葉がでてくる。電車の中で、太股をまさぐられると痴漢行為で不快だが、ホテルで恋人にまさぐられるとそれは快感になる。「まさぐる」という言葉は、他人の皮膚を触る感覚を象徴する。ハードロックは、普通の人にとって騒音に過ぎない。以前使っていたフィルムカメラにモードラを付けるとシャッター音が大きくなり、舞台の撮影ではやはり不快な音となる。それに対して、モデルを撮影するとき、この大きなシャッター音がモデルにとって心地良いものになることがある。撮影するほうが不味いとシャッター音はやはりうるさいだけになる。ある種の珍味は、強烈な臭いを発するものがあるが、好きなひとにとってはたまらない臭いらしい。プリミティブな感覚は、人間の記憶に長く残る。この本にやはり度々でてくる乳房とその感触は人間(男性も女性も母親の乳房に触れる)が誰しも経験することであった。しかしながら現代ではこの原始的な皮膚の接触を経験しない子供が増えている。そのため、人間として根源的な感覚をなくしている。自傷行為や虐待、低年齢による殺人。人間は、皮膚を破られば、血が流れ、傷き、痛みを感じる。皮膚は「私」と「他者」との境界線である。イスラム教では今でもそうだが、女性の皮膚は他者に見せてはいけないという考えが長らく続いた。今、夏になれば、隠している部分のほうが少ないファッションが多い。流行の民主化、つまりみんなが着ているからというのが理由でどうしてもそれを身につけたいという想いは希薄化している。

  ひとびとの存在を皮膚のうちに幽閉したモードはそれでもまた、そこから出口を開く行
  為でもある。密着感、つまりは皮膚にくっついているもっとも原始的な身体感覚として 
  の触覚性と、「別の」存在様式をたぐりよせようというイマジネーションの飛翔、この両
  極端ともいえる契機を、モードは、わたしたちの身体空間のその皮膜の感覚、つまりテ
  クスチャ(肌理)の感覚の様相として結合する。その結合を様式化しようという要求が
  あるかぎり、モードはそれ自身の帝国の外部に出ても消失しはしないであろう。おそら
  くいま、わたしたちは<モード以後のモード>を構想する局面に入っている。

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平松美奈さん

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今回初めて撮影した平松美奈さんです。「Ray」「CanCam」「JJ」等の読者モデルで活躍されているかたです(といっても管理人は雑誌を見ていないのですが)。美奈さんも個人撮影は初めてだそうです。Wall Paperのマネージャーさんに紹介されて撮影することになりました。声楽科の3年生で、まだ夏休み中ということで羨ましいかぎりです。ポーズとかどうやって勉強すればいいんですかと聞かれたので雑誌とか写真集を見ればと管理人がいうと、Wall Paperのマネージャーさんは自分がでたいと思う雑誌を研究することと言っておられました。マネージャーさんは現役モデルさんです。Wall Paperのマネージャーさんが、美奈さんの肌はきれいと撮影した画像見ながらいっておられました。マネージャーさんによると、最近の若い女性向け雑誌では、普通のモデルさんよりも読者モデルさんのほうが人気があって忙しいらしいです。美奈さんも撮影が終わると、次の撮影があるということですぐに帰ってしまいましたが、ほんと可愛いモデルさんでした。

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川崎 2 - 2 大分 (追記あり)

大分が2点目を入れたとたんに、管理人の周りの人たちは殆ど席を立ってしまったのですが、管理人は帰る気力がなかったので最後まで試合を見ていましたよ。帰らなくて良かった。でも、川崎の守備の修正はどうなっている???という試合でした。

前半は両チームともいいところがなく、本当に2週間間が空いたとは思えないパフォーマンスです。相変わらず憲剛はミスばかり。寝てしまいそうでした。後半は、大分のパスが回りだし、川崎のゾーンディフェンスはただ見ているだけ。そうこうしているうちにエジミウソンが真ん中からシュートを決め先制。伊藤と憲剛がいたのですが、シュートをブロックするそぶりもありませんでした。その後、我那覇のクロスからジュニーニョがせって大橋へパス。大橋が冷静に決めて川崎が同点。いつもののようにこれからだと思ったら、西山にまた真ん中からシュートを打たれ大分2点目。はっきりいってこれで負けと思いました。大分は選手交代で露骨な遅延行為。これが返って仇となって、ロスタイムが3分以上になり、川崎は大橋のCKから井川が決めてまた同点。なんというか最後までなにが起きるかわかりませんです。守備に関しては、いつものとおりで、後ろの3人を交代させるか、その3人を使い続ける監督を変えるかしないとなにも変わりません。今日はとにかく川島も含めミスのオンパレード。まあ優勝争いも降格争いもしていないので結果はあまり関係ないですが。先制点を取られてから、高い位置からボールを取りに行くなら、初めからやって下さい。

(追記)
DF3人交代とか、監督変えろというのは、今季の目標がリーグ制覇というのが前提の話です。本気で代えろとは思っていませんよ(だいたい交代させたくてもDFの選手がいない)。欧州のリーグだったら、優勝狙うチームが中位の成績なら監督更迭だと思います。レアルマドリードなんかリーグ優勝しても、試合内容がつまらいと監督をかえたんですから。フロンターレはリーグ8~9位というのが身の丈にあっていると思います。

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Jリーグ再開

明日、Jリーグ再開です。管理人は等々力に行きます。川崎は、これから連戦が続き、中東まで遠征します。去年2位になったのが良かったのか悪かったのか。2週間で守備が良くなるとは思いませんが、なんとかするでしょう。去年と総失点があまり変わっていないのは、川島のおかげです。総得点が減っているのはやはり左サイドとボランチで点が取れないため。といってもいまさら劇的にチームが変わるとは思わないので来年に期待しましょう。

一方札幌のほうは、札幌ドームで仙台戦です。ドーム満員になるのでしょうか。ヨンデがベンチ入りするようですが、CBで使うのは止めたほうが良いと思います。川崎の関塚監督は、相馬や谷口をCBで使うような人で、CBのヨンデも見ていてハラハラすることが多かったような気がします。横浜FCのとき、ボランチで結構良かったのでこっちの起用が正解だと思います。三浦監督も金子をCBに使うような人なので、まあどうなるか楽しみです。あと12試合なのでガンバって欲しいものです。J1に上がると関東での試合観戦が多くなるので。

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週刊ヨモタ

「驢馬とスープ」 四方田犬彦

この本に収められている文章の大半は、ウェブマガジン「パブリデイ」に、「週刊ヨモタ白書」として連載されたもの。470頁ある本書は、色々な話題が多岐にわたって書かれており、ただただ脱帽するばかりだ。例えば、「三島由紀夫とパレスチナ」の後に、「山口百恵へのトリビュート」、「奥崎謙三を悼む」と続いたり、「ブルース・リーとイエス」の次は「愛子ちゃんの将来」。愛子ちゃんとは愛子内親王殿下のこと。バルサミコから冬虫夏草、満漢全席まで食べ物の話題も豊富。一年の内、半年は旅に出ている著者は、旅先でもこの文章を書いている。旅といっても普通の人の海外旅行とは違い、コソヴォであったり、ミャンマーであったり、ベイルートなど危ない処が多い。このように旅をし、大学で講義をし、大量の本を読み、映画を観て、年に数冊の執筆も行い、たびたび引越しもする。このエネルギーはどこから出てくるのか不思議だ。冬虫夏草のおかげだろうか(これは冗談ですが)。とにかくエネルギッシュな四方田さんである。この中からいくつか引用する。

  よく誤解されていることだが、ファシズムとは人の居心地を悪くさせる物ではない。そう
  ではなく、かぎりなく人を保護し、安堵させ、そして思いがけない方向へと連れ出してゆ
  く何物かなのだ。「世代」という語を安逸に使用するたびごとに、人はそのファシズムに
  一歩ずつ近づいているのである。

  パブリックに、世間に向かって書くというのは、日記の垂れ流しとは違うのでござるよ。
  だから責任の所在を明確にするためにも、モノを書いたときお金を貰うのは当然じゃ。
  世のなかにヴォランティアとかいうのほど、タチが悪いものはないのじゃ。お金が動い
  ていないから責任意識が弱く、ちょっと面白くないことがあると、平気で持ち場を離れて
  しまうことがままあるからじゃ。プロというのは、失敗とか途中の逃亡が許されないから
  プロなのでござるよ。

  セレブとは、ファーストフードと化した神々である。いや、インスタント食品と化したスタ
  ーであるというべきか。彼らもまた善悪の向こう側に立っているように見える。だがそ
  れは表面だけのことで、実のところ何か事件が生じると、彼らこそが道徳的非難の標
  的にとなり、たちどころに社会のなかで犠牲の山羊に似た位置を宛がわれてしまうの
  だ。というのも大衆の羨望と嫉妬を地中で養分として葉を繁らせるのがセレブだから
  で、この仕組みがひとたび崩れてしまうと、彼らはその羨望と嫉妬を直接的に身に浴
  びてしまうからである。

  ちなみに最近、「本当の自分を発見したい」という表現をよく耳にすることがある。わた
  しはこういう甘ったれたいい方はしないほうがいいと思う。本当の自分など、心にいつ
  も被せている蓋を取り外して、その気になって考えてみればすぐわかる。惨めで、嘘吐
  きで、裏切り者で、臆病で、人を妬んだり憎んだりする習癖をもった下等な人間。それ
  が「本当の自分」である。そんな醜いものを発見したところで、そのあとをどうするつも
  りなのか。本当の自分などいらない。本当に必要なのは、自分のダイモーンの声を聞
  くことなのだ。

引用したい文章は沢山あるが、続きは本書を読ん貰いたい。

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朝早く起きた日は

<日本代表 4-3 スイス代表>
今日もまた、朝早くというか夜中に起きて、見ました代表の試合。起きた時に、すでに2対0となっていたのでまた寝ようかと思いましたが我慢して見ていました。前半は、日本が勝てる気はしなかった。唯一の見せ場は、松井が切り返してのシュートでしたが枠を遙か越えていきました。後半、勝っているスイスのほうがどんどん選手を替えて、かえってリズムが悪くなり、日本のほうが動きが良くなって、松井が仕掛けてPKをもらい1点目。中村俊輔のFKから、巻が”利き足”のヘディングで2点目。その後、巻が倒されPKをもらい3点目。この調子なら勝てるかなあと思っていたら、CKからスイスが3点目を決める。強豪スイスといわれていたのですが、後半はオーストリア以下の動きでした。終了間際、中村憲剛から山岸へパス、そのパスを山岸が中央へ折り返し、ほぼフリーの中村憲剛がシュートを打つとGKがはじき、詰めていた矢野が押し込んで4点目。やはりシュートを枠に飛ばすとチャンスが生まれるし、松井のように1対1で仕掛けると何かが起こる。朝早く起きて見ていて良かったです。

<U-22日本代表 1-0 U-22カタール代表>
家に帰ったら、1-0になっていて、日本が攻め込んでチャンスを作っていたので、まさかこのままで終わると思わなかった。後半、本田拓の不用意なプレーでこの日2枚目のイエローカードを貰い退場。この後、防戦一方の日本。カタールには決定的な場面が何回かあったのですがなぜか外してくれて無得点。これは日本の守備が良かったわけではなかった。反町監督はやっと平山を使わないようになったけど、もう一つの謎の選手起用本田拓をいつまで使うのか。残り3試合ありますけど、きびしい試合になると思います。ホーム2試合で2得点というのはちょっとまずいんでないかい。

<鄭 容臺 コンサドーレ札幌に期限付き移籍>
ヨンデが札幌ですか。本職はボランチで、川崎にいたときはセンターバックもやっていたので守備の強化ということですか。スピードのあるFWはどうなったのでしょうか。

<モデルさんの記事>
モデルさんの紹介記事は、所属事務所が変わったり、名前が変わったり、事情があるものは削除しまた。撮影会の記事や写真も諸般の事情で削除しました。個人撮影した写真は掲載することにします。

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対話する美術館

「昭和」写真の1945-1989 第3部 /キュレーターズ・チョイス07

先週、写真の1945-1989 第3部 /キュレーターズ・チョイス07を見てきました。鈴木理策 展「 熊野、雪、桜」と一緒に見たわけでありません。鈴木理策展は単独で見たほうがよいと思いました。「昭和」写真の1945-1989 第3部はシリーズの3番目で、このあたりにくると見たことがある写真が多く、第1部のような目新しさは感じらませんでした。相変わらず見学者は多かった。キュレーターズ・チョイス07は、学芸員が美術館の所蔵する写真から選んだものを展示する企画。美術館が所蔵する写真のため、それなりに評価された写真ばかりで、新しいひとの写真は少ない。もう少し驚くような選択があるかと思ったら無かった。キュレーターズ・チョイスの新人公募展を行えば、学芸員の個性がもう少しでると思いました。この2つの写真展を見ると、有名な写真家の有名な作品ばかりでちょっと食傷気味になります。美術館の学芸員は女性が多いというのが一番の驚きかも。

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U-22日本 0-0 U-22サウジアラビア

2日続けて早く起きてのTV観戦です。最初のほうは、両チームとも動きがあったのですが、途中から運動量が落ちてきます。TVでは気温が35℃、湿度70%とか言っていました。昨日の東京の昼間と同じような気候では、サッカーをするには厳しいと思います。サウジアラビアのほうがチャンスがあったのですが、途中で退場者がでて、その後は日本のペースのように見えました。時々日本はカンウンターでピンチになるのですが、相手のシュートの精度が悪くなんとか失点を防いでいました。日本のほうも、攻め込むのですがいかんせん最後のところがまずく得点を奪えません。一番惜しかったのが、水野のヘディングシュートで相手GKの好セーブでゴールならず。昨日のフル代表と同じように、最後のシュートの部分がなんだかなあと言う感じです。今日の試合の選手交代は、引き分け狙いだったのか点を取りにいったのかよくわかなかった。水曜日の試合も考慮した采配だったのかなあ。なにかもやもやしてすっきりしない試合でした。とりあえず負けなくてよかった。

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長い一日

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今日は朝早くおきて、日本対オーストリアの試合を見ていました。田中達也のシュートがバーに当たったとき、あの角度であのコースを狙ったとしたらたいしたものだと思ったりしましたがたぶん違うのでしょう。先週見たレアルマドリードの試合で、ファン・ニステルローイが落ち着いてコースを狙って決めたのとは違って、日本の選手はチャンスになると慌ててしまう傾向があります。加地や駒野のクロスは相変わらずどこを狙っているのかわからなかった。結局、PK戦で今野と中沢が外して負け。オーストリアはそんなに強いとは思わなかったけど得点できない。高原以外FWは得点できそうにないなあ。

試合が終わった後、渋谷へ写真を撮りに行きました。さすがに朝の7時頃の渋谷はひとが少ない。渋谷から表参道へ行って、また渋谷に戻ってそれから銀座へ。今日は暑くて疲れた。銀座4丁目では、冬物の服を着たモデルさんの撮影をしていました。撮影の合間に、スタッフのひとが団扇でモデルさんの顔を扇いでいました。

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銀座を撮影したあと、恵比寿の写真美術館へ移動。まだ10時になっていなかったので、ベンチで水分を補給。10時をちょっとすぎたところで、「鈴木理策」展を見にいきました。見学者は管理人を含めて3人でした。後の2人は女性。最近の写真展では女性の観覧者のほうが多い。この「鈴木理策」展は入り口のところは、熊野の自然の写真で、途中の通路には熊野の夜祭りの写真が展示してあり、火の粉から夜の雪の写真に変わり、雪と桜の写真展示場へ行くとそこは真っ白なスペースになっていました。この緑->赤->黒白->白と変わる展示の仕掛けは見事でした。真っ白なスペースにハイキーの雪と桜の写真が展示されているのですが、雪と桜の違いがあまりなく、管理人は雪だけの写真かと思ったほどでした。写真集より、この展示のしかたのほうがよいと思いました。出口のところに桜とすぐわかる写真を置くという心憎い展示でした。それから自宅に戻って、画像データの処理。デジカメでRAW撮影のため、沢山撮ると後が大変。

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雨過天晴

「雨過ぎて雲破れるところ」 佐々木幹郎

「雨過天晴雲破処」は雨が過ぎ去ったあと、雲の破れ目に最初に現れる新鮮な青色のこと。陶磁器の世界では「雨過天晴」と呼んで、青磁の理想的な色を形容しているそうだ。この本は、詩人佐々木幹郎さんが群馬県嬬恋村に建てた山小屋に集まってくる人々の交流や村の自然について書いたエッセイー集。この山小屋で、佐々木さんは「シジン」と呼ばれている。シジンは週末に車を飛ばして小屋に通い、氷のオブジェを作り、スキー場跡地の草刈りをし、地蜂に刺され、ネパール式のブランコを作り、ジャムを作り、骨酒を飲み、シングルモルトウィスキーを飲み、色々な日本酒を飲み、オートハープを奏でる。この小屋では、いろいろな音楽家のコンサートが開かれる。ナターシャセブンの坂庭省悟、高田渡、小室等親子等々。坂庭省悟、高田渡はもう故人になっている。その思い出話は、人間の死について考えさせられる。坂庭省悟が最後、マネージャーのウチヤマさんに「ウチヤマ、これで、ジ・エンドやな」と言った。歌を歌い続けて完結した男の最期の言葉。ここにくるミュージシャンはシジンの詩に曲をつけ、シジンの前で披露する。そして、夜半まで酒を飲み交わす。シジンの身内が病で倒れることが続くが、この山小屋での交流がシジンを生き返らせたとシジンは述べている。都会はストレスが溜まり、シジンには生きにくい場所だ。

    手操り 下ろそうと ぼくは したが、
   綱も なければ それも 叶わず、
    旗は はたはた はためく ばかり、
   空の 奥処に 舞ひ入る 如く。

  心にかかる不安や心配事。生きるというのは辛いことだと、中也は「黒旗」に託して歌 
  う。ここで「空」は、人間の胸のなかであっていい。わたしは中也の詩のこの一節を口
  に出して呟くと、いつも気分が楽になるのだ。誰の胸の奥処にも「はたはた」と舞ってい
  る旗。目に見えない旗は、不安の象徴のように、人生という高空の一点にいつも浮か
  んでいる。その空の色が「雨過天晴雲破処」であってもいいだろう。雲の破れ目の宇宙
  の青い色が、「旗」のようにひるがえっているのだ。

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ナチの美神

「レニ・リーフェンシュタール」 平井正

「演技の花道」の後ろの広告にこの本がでていて、面白そうだったので買って読んだ。僕の読書はあまり方向が一定していない。レニ・リーフェンシュタールはナチの党大会の映像とベルリンオリンピックの記録映画で有名である。レニは最初、ダンサーを目指していたが怪我のため女優へ転身する。今度は山岳映画の主演女優として有名になる。女優では飽き足らなくなり映像監督を志す。このへんの情熱が普通の女優とは異なる。この頃、ナチの党大会を見て、ヒトラーに手紙をだしコンタクトを取った。ヒトラーに取り入ることにより、映画監督になったことはレニの一生につきまとうことになる。僕はナチの党大会の「意志の勝利」は部分的にしか見たことがないが、「民族の祭典」は見たことがある。冒頭の円盤投げの石像が生身の円盤投げの選手になるところや、アフリカ系アメリカ人のオーエンスの映像が印象に残っている。レニは人間の肉体美を追求しており、映像としてはナチ党の宣伝とはなっていないように思える。同時代の映画監督がナチに迎合した映画を製作してもあまりに出来が悪く、ナチ党の宣伝ならなかったのに対して、レニの「オリンピア」は、自身の美的映像を追求した結果、その映像の素晴らしさが返って「ナチ=ヒトラー」の絶大な宣伝となった逆説がある。レニは多分ナチの政治には関心も興味もなかっただろう。第二次大戦後に起った彼女に対する非難に対して、彼女は何度も非政治的であったと弁明している。ここに美的追求の20世紀的アポリアがあると著者はいう。美の追究が非政治的であることの免罪符になるのだろうか。ナチに迎合した映画を製作した監督の中には、それほど非難されずにドイツ映画界に復帰しているひとたちがいる。それに対してレニは映画界を追放されている。レニはその後写真家と再転身する。レニは写真でも「表層的美」を追求する。「ヌバ」の写真でも、民族的な興味はなくその肉体美と仮装のほうへと彼女を向かわせる。「海中」写真でも、ただただ海中の魚、珊瑚の美しさを強調する。80歳を過ぎてもスキューバダイビングをして、海中写真を撮っていたレニの情熱は驚くべきものがある。レニは生涯非難し続けられ、また賞賛もされて議論が絶えないという数少ない映像作家だった。

この本で紹介されているベルリンオリンピックのエピソード。「前畑ガンバレ」の前畑さんの競泳の映像は、オリジナル版では採用されず、日本版だけに挿入されているそうだ。前畑さんの映像は、表彰台であの右手を挙げているポーズのドイツ選手に対して、日本式のお辞儀をしているところとか日本式の鼻緒が付いたサンダルだそうだ。走り高跳びのシーンでは、競技が長時間にわたり、日没になったため強い照明が許可されず、次の日の昼に選手たちに「演技」をしてもらい、合成したそうだ。レニが初来日したとき、ベルリンオリンピックに参加した日本の選手との歓迎会が開かれ、レニは選手たちが示した好意的態度にたいへん好感を持ったそうだ。

  一般にベルリンオリンピックに出場した日本選手は、大会そのものについてもそうだっ
  たが、記録映画「オリンピア」には大変感銘を受けていた。そしてユダヤ人問題に切実
  な関心がないこともあって、リーフェンシュタールを、「オリンピア」の製作者としてだけ
  受け入れる態度を示したのだった。

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徳島 3 - 0 札幌

まあこういこともあります。選手のみなさんは十分休養して下さい。
管理人はフェルナンドトーレスが同じ試合でPKを2回外したのを見たことがあります。
当時磐田だった藤田選手のPKハットトリックというのも見たことがあります・・・・・(´-ω-`)

順位   Team    勝点    試合数    勝    分    負    得点    失点    得失差 
  1    コンサドーレ札幌  72  36  21  53  30  +23 
  2    京都サンガF.C.  63  35  18  60  43  +17 
  3    ベガルタ仙台  59  35  17  10  56  45  +11 
  4    東京ヴェルディ1969  58  35  17  11  60  45  +15 
  5    アビスパ福岡  56  35  17  13  61  40  +21 

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Little Red Rooster

遅ればせながら「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」をWOWOWで見た。僕は、映画ファンではないので、映画はもっぱらTVかDVD鑑賞で済ます。あの座席にじっとしているのが苦手のためだ。この映画は、ブライアン・ジョーンズの死に関するひとつの解釈を示そうとしている。公式的には、ブライアンは事故死。映画では、一緒に住んでいた建築業者のフランクがブライアンを殺す。その真相は、僕にはわからない。映画のなかでは、意図的にミック&キース作のストーンズの曲は使われていない。僕がストーンズを聞き始めたのはミック・テイラーが在籍していたころで、ロニー・ウッズがテイラーの替わりにメンバーになってからはあまり聞かなくなった。この映画は、当時の雰囲気をよくだしているような気がする。Sex、Drug 、Rock'n'rollに民族音楽。映画ではモロッコマラケシュの場面もあった。ブライアンの音楽の方向性とミック&キースの曲作りとでは、交わることがない平行線になっていた。結局、ブライアンはストーンズをくびになる。昔見たゴダールの「ワンプラスワン」に、「悪魔を憐れむ歌」の録音で、他のメンバーがバックコーラスを歌っているのに、ブライアンだけ小さなボックスでひとりギターを弾いている場面があり、僕はやりきれない気がした。「ストーンズから消えた男」の最後に、死んだブライアンがキーロックに向かって「僕を忘れさせないようにしてくれてありがとう」、「幸福は退屈だ」という台詞があった。もし、ブライアンがいま生きていたとしてもミック・テイラーのように忘れ去られてしまったかもしれない。僕はミック・テイラーがソロで来日したときのライブを見に行ったが、ずっと彼のオリジナルの曲をやっていて会場は盛り上がらなかった。みんな演奏している曲を知らないのだ。最後のアンコールに、ストーンズの"Bitch"を演奏したら大盛り上がりだった。ミック・テイラーも複雑な思いだったろうと思う。ストーンズが一番売れていたときのギターリストという肩書きからは逃れられない。ブライアンもストーンズの元リーダーと言われ続けることに耐えられただろうか。

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ふろんたクンとどーれクン

<鹿島 4 -1 川崎>

今回は試合を見ておらず、得点シーンだけTVで見ました。鹿島の監督のコメントを見ると審判が酷かったようです。サッカーもビデオ判定を導入するとか審判を増やすとかしないとねえ。どの試合もTV中継があるので問題となるシーンを何回も映して、誤審を煽るようになってしまいます。今回も4点取られたのですが、相手も研究してきてます。清水は等々力での試合ではロングボールとかハイボールを入れてきたのですが、清水での試合では、スピードを生かしたサイド攻撃に変えてきました。昨日の鹿島も、フロンターレの弱いところをついてきた感じです。フロンターレの守備は、ボールを持った相手に身体を寄せていかないで、ボールウォッチャーになる傾向があります。そのため、DFラインがずるずる下がってしまい、ペナルティエリアの前にスペースができ、ほぼフリーでミドルシュートを打たれる場合が多い。また、単純なワンツーでDFの裏を取られてしまいます。去年はそのあたりのケアを憲剛がやっていたのですが、今年は憲剛にそんな運動量がない。本来ならもっと高い位置でプレスをかけないといけないのに、ゾーンディフェンスということで、みんなボールを持った相手を見てしまう。2人で相手を囲むようにして、もう少し高い位置でボールを奪う意識がないとなかなか失点は防げないと思います。これは去年からの課題ですが修正が難しいようです。

<札幌 1 -1 愛媛>

このままJ1昇格していいんでしょうか・・・・・(´-ω-`)
三浦監督のコメントを読むと昇格するチームとは思えないのですが、2位以下のチームがつぶし合いをしているので差が縮まらない。

柳下さんが磐田のコーチに。来年は磐田の監督に就任ですか・・・・・・(´・ω・`)
フッキがハットトリック。髪の毛の色が金髪に見えるんですけど・・・・・(´-ω-`)
いつのまにかベルディが3位と勝ち点差1の4位に。

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セビリアがひとつになったとき

セビリアのアントニオ・プエルタが亡くなった。享年23歳。

たまたまセビリアとヘタフェの試合を見ていて、前半28分頃、セビリアのGKのときキーパーの近くにいたプエルタがゆっくり倒れ込んだ。キーパーは気づかなかったが、DFが気づいてあわてて彼のもとにいった。その時は、すでに意識がなくなっていてDFの選手が指を口の中にいれて、舌が巻き込まれないようにしていた。そしてドクターがすぐ来て、交代の合図の指をぐるぐる回していた。そのうち、本人の意識が戻り、自分で立って歩いて去った。その時はまさか亡くなるとは思わなかった。試合は、セビリアが4対1で勝ったが、ヘタフェのほうが2人の退場者をだし、スタジアムは異様な雰囲気だった。セビリアのチームは欧州CLの予備戦のため、すぐアテネへ行った。そして、28日午後2時半、プエルタが息を引きとった。予備戦は延期になった。

 29日、アントニオ・プエルタとの最後のお別れが行われた。深夜0時、サンチェス・ピスフア 
 ン・スタジアムに設置された祭壇に到着した彼の遺体は、「Puerta! Amigo! Sevilla esta
 contigo!(友人プエルタよ、セビリアは君と共にある!)」と泣きながら叫ぶ数千人のファン
 に迎えられた。

この時、ベティスのチームも全員で祭壇にきたそうで、試合のときは絶対に同席しないセビリアの会長とベティスの大株主も抱擁したらしい。スペインリーグでは、互いのチームの幹部が同席して観戦するが、セビリアダービーのときは同席しない。それくらい、街は二つに分かれるそうだ。プエルタは、セビリアのカンテラ出身。小さいときからセビリアのファンで、「僕の友達にはベティスのファンはいない」といっていたそうだ。

プエルタは左サイドやサイドバックをやっており、開幕戦は左サイドバックで先発だった。スペイン代表に選ばれ、10月には子供が生まれる予定だった。その子供の名前は、アントニオを受け継ぐことになったそうだ。最近の欧州サッカーは過密スケジュールと言われている。代表選手は各国の代表の試合もあるので相当疲労するらしい。サッカー放送は世界中に配信され巨大な利権を生む。試合を減らすわけに行かないのだろう。今回の件と過密日程は関係ないかも知れないが、もう少し選手が休めるような配慮が必要なのではないかと思う。ご冥福を祈ります。

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