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「肖像写真」 多木浩二

多木浩二さんの講演会をはじめて聞いたとき、ときどき写真展で見かけた白髪のかたがそのひとだった。多木さんは「PROVOKE」の創刊に参加し、その理論的な支柱だった。最近では、「PROVOKE」について意識的に語らないようだ。というか、参加したメンバーが語ることが滅多に無い。

この本で、肖像写真家として、ナダール、ザンダー、アヴェトンを紹介している。ナダールは自分のアトリエで、当時の知的エリートを意識的に撮影している。ボードレールをはじめとして、デュマ、ドラクロワ、マネ、ロッシーニなど。とくにネルヴァルは、自死する一週間前に撮られており印象に残る。ナダールの写真は、布をバックに主に上半身だけ撮影されている。それは、写真というよりも肖像画に近い感じがする。ナダールの写真が明らかにしたのは、こうした歴史的なブルジョアジーの特徴であった。

ザンダーの写真は、有名な「舞踏会へ向かう三人の農夫」のように、知的エリートだけではないあらゆる階級のあらゆる職業の人々をそのひとが生活している場で背景を含めて撮影している。このあらゆる階級を撮影していることが仇となり、ナチにドイツ民族を表すものとして不適当として写真集「時代の顔」は出版禁止となり、版組は棄却され、残っている本は焼却された。ザンダーの写真の魅力は、もはや共同体の神話的象徴を超え、未知の世界への開口となっていることである。

アヴェトンの写真は、背景が白で顔のアップが多い。それは、そのひとの生活場とか階級が分かるような服装もポーズも無くしている。アヴェトンの場合、肖像写真は自分の写真で、仕事としてコマーシャル写真も撮影している。アヴェトンは「肖像写真はパフォーマンス」と考えていた。そして、パフォーマンスは自分自身であること以上ではない。

アヴェトンは、死に近づいた父親をその数年前から撮影した。父親も死が近づいていることが分かっており、写真に撮られることが息子とのコミュニケーションの過程を意識することであった。アヴェトンの写真がナダール、ザンダーと違う点は撮る側と撮られる側の両方の表出が重なり合ってできているところである。これは現代写真の特徴でもある。最後に多木さんは次のように述べている。

  しかしアドヴェンのまなざしは、いくら折り重ねても厚みをもちえない奇妙な世界にわれ
  われを誘い込むのである。われわれはもはや確実な手がかりのない世界にいるか、
  そこに行こうとしているのである。肖像は、人間が威厳を持ちうる限界に到達する。
  その空白の背景は白い壁ではなく空白なのであり、われわれの世界がいかに希薄か
  を暗示している。ニューヨークのスノビズムを充分に身につけながら、彼から見えてく
  る歴史は、われわれが今後どんな世界に住むのかを暗示し、かつ不安にさせるもの
  をもっている。アドヴェンの示す歴史の無意識は恐ろしい。

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