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「時代のきしみ」 鷲田清一

中田英寿元サッカー選手が「自分探し」の旅にでて久しい。モンゴルで疲労骨折をしている横綱と親善サッカーを行って、相撲協会の幹部は苦々しい思いだろう。中田の旅はお金持ちの暇つぶしか、スポンサー付きの単なる親善大使というTV番組収録行のようにも見える。移動はファーストクラスで泊まるところも最高級ホテル。このような旅でいったいどんな「自分」を探すのか。

いまの自分とは違う<わたし>が存在し、その<わたし>は私の所有物としてあるという考えがいまの若者に多い。才能や能力が交換や売却ができるなら、<わたし>も交換可能なのものである。だから「どうして私の身体を売ってはだめなの」と援助交際している少女の理屈が成り立つ。「癒されたい」「愛されたい」「信じてもいいの」「求められたい」「自分へのご褒美」など「どんなサービスをしてくれるの?」という受け身の願望が疑問符なしで肯定される。この受動性は過剰なまでの他者へのもたれかかり-もたれかかりあい-として現象していると著者は語る。

 そうした欲望は、<わたし>からそれが発するというよりも、むしろ<わたし>がそれに駆
 けられ、突き動かされるものである。くりかえし、くりかえし。そして欲望は、わたしたち
 の都市生活ではある社会的なシステムに組み込まれている。食べ物の嗜好も、見てく
 れの演出も、性的イリュージョンも、そしてなによりもわたしの<わたし>としての存在は、
 この時代の、あるいはこの社会の、<意味>で編まれた象徴的秩序とでもいうべきもの
 のなかでかたどられ、あるいは「反動形成」され、それとして意識されるのであり、だか
 ら、なぜ<わたし>はそのように欲望するのか、その訳をじぶんでも知ることはない。

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